前回、サインを読み解く必要を書いたけど、大昔の人間は目に見えるサインでなくともコミュニケーションできていたんではないだろうか。
音や形がなくともはるか太古の昔は念波のようなもので、意思の疎通が可能だったのではないだろうか、つまりテレパシーみたいな。
言葉が発達しすぎて、人間はその能力を手放した・・・?
単なる妄想とは思えない経験があります。
大勢の自閉症児を療育をしていた時、テレパシーというものがあるんだ、と思わされる場面に出くわしました。
小学校の中学年だった男子は自閉の症状が重く言葉は出ませんでした。
ですが運動能力はあり、自転車にも乗れ、縄跳びも出来ました。文字は見て書くことはできましたが、明瞭な発語はなし。
ある日、彼が療育スタッフと教室で学習している間に、私はお母さんと別室で面談を行いました。
彼には一人の弟がいましたが、お母さんは彼がちっともお兄ちゃんらしい態度にならないと愚痴・悪口を言いました。んーん・・そこは心が成長しないとねぇ。
面談が終わり、彼を教室まで迎えに行きました。
教室のドアを開けて見た光景にわたしもお母さんも唖然としました。
彼は同じ教室でぐずっている友達の側に近寄り、服の袖を伸ばして、友達のうるうる涙を拭いてあげていたのです。
お母さんと私は顔を見合わせ、さっきの面談の内容を聞いていた?思わず言葉が漏れました。
今まで一度もこんなお兄ちゃんらしい態度を見せたことないのに・・・お母さんはつぶやきました。
人間は太古の昔、テレパシーもコミュニケーション手段として当たり前にあったかもしてない、と信じた場面でした。そして自閉症児にはその名残があるのかも。