自閉症は幼児期の頃、<はるかな記憶>を色濃く残しているせいか、一度通った道の記憶は抜群です。
いつも通っている道を、今日はちょっと用事がある交差点を右じゃなっくて、左にしよう、とするとはげ激しい抵抗にあう。
今日は用事があるから・・、この道を通っても帰れるんだから・・、と言いきかせても大声で泣き叫ぶ。
「なんで、そこまでぇ~。」げっそりしてため息しか出なくなります。
車で通っていても、いつもと違う方向にハンドルを切ったりすると、突然後ろの座席から、「ぎゃぁ~。」と叫び声が響きます。
車で通っている道だから覚えていないだろう、と思うのは甘いです。
彼らは何かしらのマークや目印をきっちりインプットしていて、しっかり確認しながら乗っているのです。自分の記憶しか信用しないその態度・・・。
彼らのチェック能力は驚くべきものがあります。よくそんなマークに気づいたねェ~と感心するばかりです。
療育中、お母さんからため息と不安まじりに聞かされた話があります。
小学校低学年の息子は自閉症状重めの小太り男子。
とてもおとなしい子で多動もありません。発語は簡単な単語が少々。
その彼がある朝いなくなった、というのです。
部屋に見に行た時はもぬけの殻だった。
誰も出て行くところを見ていない
神隠しにあったようで、どこを探したらいいのか見当もつかない。
お母さん、お父さん、お兄ちゃんはとりあえず近所中を探して歩いた。
近所を探して小一時間立つ頃に、学校友達の家から電話があった。
[Kちゃんがきているよ。パジャマ姿で。」と。
家族はほっとすると同時に驚愕した。
その友達の家というのは、けっこうの距離で信号をいくつも越えていく。
車でしか行ったことがない。
以前一度だけ、その家に車で行っておじゃまして遊ばせてもらった。
その時、おやつをいただいたことがあった。
Kちゃんは、朝起きると、その友達の家でおやつを食べたことがぱっと頭に浮かんだのかもしれない。夢で見たのかもしれない。そして行きたくなったのだ。
一人で外を歩いたことなどないのに、よくぞ信号を無事に渡って行ったものだ。
まだ、信号を見る練習はしておらず。赤は止まれ、青は進めもわかっていなかった。
お母さんは、喜びと、驚きをまじえて話してくれ「運が良かった、守られていた。」と<奇跡的な一人歩き>をそう締めくくりました
私も無事を喜びましたが、有り得ることだとも思いました。
道の記憶、空間認識は並ではない。
それに、自閉症の子は見ていないようで、目の端で見ているので、車をうまく避けていたんだろうな。
道にまつわる話は一回で収まらないので、次回続きを。