自閉症は人間に関心がなさそうで、人間関係を作りにくいように思われがちですが、
どっこい、人を見る目は長けているのです。
相手の能力とか長所とかではなく、相手の本質を見るのです。
自閉症はその相手が自分にとってどういう存在か、直観的に判断します。
自分にとってメリットのある存在か。
自分の要求を無条件に受け入れてくれる存在か。
自分のわがままが通る、格下の存在か。
なめてかかっても怒らない優しいだけの存在か。
彼らは自分の中で密かに、周りの人間を順序付けしていることがあります。
お父さん、お母さんではなく、お兄ちゃんが1番という家もありましたよ。
お母さんは愛してくれるけど、時々自分のエゴの方が強くでることもあるから。
彼らは価値観を押し付けてくるだけの人は本能的に避けます。
金持ちだとか、学歴がだとかは関係ありません。
本当に自分に真剣に向かい合ってくれる人はちゃんと受け入れます。
<本気さ>だけが彼らに通じるのです。
そして、戦って負けたわけではないけれど、自分のボスだと認めた存在にはガラッと態度を変えます。
なめてかかっている人には騒いで拒否していたのに、ボスが言っただけでコロッと従ってしまう場面はよくみられることです。
自閉症は人をよく見ていて、人によって態度を使い分ける、という話は療育現場にいる人から良く耳にする話で、彼らの対人格差の能力はあまりよく言われません。
しかし、人を見る目の無条件の例外もあります。
彼らは若い女の人が好き。
しかも美人であればまちがいなし。
髪が長ければなおよし。
療育していた頃もありました。
療育が終わって出口まで見送ろうかな、と私が手をつなごうと手を差し出すと、子どもは近くにいる若いスタッフの方に手を差し出すのです。
正直と言えば正直ですが、憎らしいじゃありませんか!
確かスタッフ仲間では私が一番の年配のおばさんではありましたが。
自閉症の対人格差は分かりやすいし、彼らの気持ちの表れでもありますね。
対人格差は場面格差と共通します。(空気を読まないどころではありません。)
療育中、あるお母さんが言っていました。
自分の自閉症息子は療育の成果で、場面に合わせてきちんとした態度、行動もとれるようになってきているし、自分のことは自分でやれる。
なのに、ある施設に預けると、まったく初期自閉症に戻ってしまう。
何なのこの違い、びっくりしてしまった、と。
その施設では自閉症とはそういう行動、態度をとるものだからひたすら受容しよう、という方針だったんじゃないですか?
それで子どもも空気を読んで、自閉症らしく振舞おうとしたのでは?
自閉症は、自我・主体性が育ちにくい分、周りの人・環境にによって大きく左右され影響を受けて成長するということでもありますね。