自閉症の幼少期はその育て辛さ、不可解な行動、激しい感情爆発に注意・注目が
行きすぎて、彼らの隠れている感性は気づかれにくいですね。
言葉がないと内面は見えないブラックボックス?
いえいえ、そうではありません。
絵で内面を表現する子も多くいます。
療育には幼児期から来る子がほとんどですが、絵心の片鱗は幼児に既に芽生えているように思いますね。
人の顔はおろか、形らしい形が描けない軽度の自閉症児がいる一方、言葉はろくに出ていないのに紙にいたずら描きをしたのを見ると、線が何かを表しているのかな、と感じさせられる重度の自閉症児もいます。
そういう子は成長するにつれて、フーム!!!と言わせる絵を描いていくようになり、親もそこを伸ばしてあげたいと思うようになるようで・・・。
彼らの絵には皆、独自の世界ありますね。
中度の自閉症でカレンダー少女でもあった女の子は、何故かいつも人間を描く時は、紙面の端を使って半身を描いていました。顔半分を描くことも多かったですね。どうして半分だけなんだろう?
これは何を意味しているんだろうね、スタッフは首をかしげましたが、彼女から理由は聞けずじまい。
幼児から青年期まで療育に通った自閉症男子(軽・重)2人は個展を開いたり、何度も賞をもらったりしているので、ネットで名前を検索すればすぐ出てくるほど。
彼らは20代ですが、就労しながら制作するという生活スタイルを気負いもなく淡々と・・・。
絵が有効なコミュニケーション手段だったこともあります。
療育に通わせていたお母さんからのうれしい話。
彼女の一人息子は小学生、言葉のない自閉症重度でしたが穏やかな性格。
ある日、買い物に行こうとした時、息子がしきりに話しかけてくる。
が何を言っているのか分からない。
お母さんは紙を出して「わかんないからこれに書いて」といった。
そしたら、息子は絵らしきものを描いて、お母さんに返してよこした。
よくよく見るとそれはビックリマンチョコの絵だった。
「あぁ、ビックリマンチョコを買って欲しいということ?」
息子は頷いたそうな。
今、シングルマザーとなっているが、働いている彼は癒しだ、と年賀状をよこしてくれます。
療育のひとう、中学生の社会トレーニングの時にもありました。
社会トレーニングは中学生10数名をひとグループにして色々な社会体験をさせるという一日がかりの活動。
公民館の調理室を借りて、トンカツを作るという調理実習をやった時のことです。
簡単な単語でやり取りは出来るがコミュニケーションまではいかない、重度自閉症女子。
彼女は家に帰ってから、トンカツの絵をいろいろ描いたのでお母さんは調理の情景が想像できた、と話してくれた。
12月の社会トレーニングは、クリスマス前の日曜日の教会のミサが恒例になっていた。宗教には関係ないのですが、近くにある教会の若者向け、夜のキャンドルサービスにご好意で参加させてもらっていたのです。
皆、厳かな雰囲気を乱すことなく、他の信者さんたちに合わせて、牧師様のお説教を聞いたり、賛美歌を歌ったり(口パクあり)、帰りにはお菓子までもらって。
重度自閉症の彼女はそのミサの雰囲気をとても気に入っていました。
家に帰ってから教会の絵を何枚も書いていたそうだ。
彼女は言葉ではなく絵で感想をつたえていた。お母さんには彼女が楽しかったというのがよくわかった、お母さんも参加したくなったと言っていました。
絵は口ほどにものを言います、言葉でなくともコミュニケーションできますね。
芸術とはそういうもんですよね。