絵も歌も、
言葉のない自閉症児の内面を伝えるツールだし、伝わっても来る。
でも・・でも・・
やっぱしその場で、即、ひと声でも、一単語でも子供の口から聞きたい。
療育中の私自身にあったこと。
私が夢の中で、まったく言葉のない自閉症男子としゃべったことがあった。
とてもはっきりした映像で記憶にしっかり残ったので、そのことをお母さんに話した。
「聞きたかったぁ!何て言ってたんですか?」と、とてもうらやましがられた。
その夢はお母さんに見てもらいたかった。
療育中、
私は発語が出ない自閉症児にも、すぐにカードでのサインやマカトン・サインは使わず識字教育を優先させた。理由の一つは発語のため。
文字の識別ができるようになったら文字を見せて、発語の練習。
他児がいない別枠の時間をつくり、一人一人その子に合わせた言語訓練をした。
生の声、言葉を引き出したい思いだけで。(別料金など取らなかった、自分の興味だけなので。)
口形を作る練習、口形を模倣する練習。
息を吐き出す練習。
マイクに無向かって息を吹きかけさせたり、笛を吹かせたり。
トイレットの芯を細く丸めて吹かせたり、ピロピロ拭き戻し笛をつかったり。
舐めたり、噛んだりすることのほうが多かったかなぁ。
<口蓋裂の言語療法>や<言語障害に言語訓練>の手法をあれこれ勉強して
取り入れてみた。キュード法も一部の子には有効だった。
舌圧子を使って舌の形を作らせることもあった。
やってる自分も変顔丸出しで、子どもに唾を吹き付けんばかりだったから、傍で見ていたらバカ丸出しに見えたかも。
それでもバイバイのバの一音が出ただけで拍手喝采。
「赤飯ものだね、」とスタッフで大喜びしたものです。
発語がなかった自閉症児に言葉がでてくるのはうれしい。
言葉は出ないものと諦めていた、という親も多かったし。
何人もの子が言葉を話すようになったことだろう。
言葉が出るようになっって人格がガラッと変わった子もいた。
自信がでたのだろう。
発音やイントネーションも普通に近くなる子もいれば、イントネーションは聾唖者の
ような目から覚えた発音に近い子もいた。
疑問文の語尾を上げるのが難しい子が多かったのはやはり自閉症の特性かな。
自ら疑問を感じているわけでないので。
何人もの自閉症の子に発語訓練をしてきたが、どちらかといえば男子の方が素直で、
言われたとおりにまじめにやる子が多かった。言葉もよく出るようになった。
それに比べ、女の子(美女揃い)は見栄っ張りで 「私はそんなことやんなくてもいいの!」、見たいなオーラを出している雰囲気があった。
とある女の子など、訓練中、同年齢の女の子が入ってくると、さっと席を立って違うことを始めようとする素振りさえ見せた。訓練してるところを見られたくなくて。
小学低学年の重度の自閉症女子に言語訓練をしていた時だった。
文字の覚えもよく、文字の音を聞けば書けたりもする子だった。カレンダー少女。
無声音のようなか細い音ながら模倣で出てきていた。
言語訓練は明らかに嫌そうな顔をして、抵抗しがちだった。
私は
「そんなに嫌なら、やらなくてもいいよ。
別に先生のためにやってるわけじゃないから、〇〇ちゃんがしゃべれなくともいいんだったらもうやめよう。」
と言いました。
そして片付け始めた時、彼女が私に手を伸ばして「やって!」と言ったのです。
私は内心の驚きと喜びを隠しさりげなく「じゃあ、やろう!」と言いました。
彼女も本心はしゃべりたいのだ。
声は小さいけれど彼女の言葉は増えていった。
中学生になって、療育の一つ、社会トレーニングに出かけた時、
パスの待ち時間の間に、彼女にかけ算九九を言わせみた。すらすら。
手先も器用で彼女は今、社会福祉法人が運営する創作工房に通っている。
色彩感覚の優れた彼女にぴったりの仕事だ。