お父さんと療育相談に来た幼稚園年長になったばかりの彼は、
診断がつけにくいグレーソーンのタイプだった。
言葉は出ていたし、自閉症状も目立ってあるというわけでもなかった。
細目で目をそらしがちではあったが、アイコンタクトも取れている。
体をもぞもぞ動かすが多動・衝動行動というほどのものはない。
しかし、お母さんは息子の育て辛さは普通とは違う、と市の育児相談に通っていた。
彼の下に年子で生まれた妹がふたりいて、育児に余裕がなかったは確かだが。
お母さんの主訴は、とにかく彼は指示に素直に従わない。
こう言えばああ言う、という態度で何事も素直にやらない 。
その一方で自分の決め事を妹達にも強要する。
一番困るこだわりはトイレだった。
おしっこが出たくなってもトイレに行きたがらない。
トイレをぎりぎりまで我慢する。腰をくねらせていても行かない。
周りの大人がトイレに行けば、と促すがもちろん従わない。
いよいよ漏れる寸前にダッとトイレに駆け込む。
お父さんはドバイなどに度々行く商社マンであったが、帰国している時はお母さんのフォローを良くし、都合がつくと療育にも連れて来た。
ある時、息子をおんぶして連れて来た。
トイレを我慢する息子を見かねて、おんぶしたのだろう。
背中におもらしされてしまった、と苦笑していた。
男子は知的に高い方ではなかったが、小学校は普通級に入った。
学習もそこそこついていけた。
やはり問題はトイレだった。
お母さんから聞いた話。
学校でころころのウンチを漏らした。しかし先生には言わず、皆が教室に戻った後、
自分で昇降口の前にある足洗い場でウンチを始末し、パンツを洗ったということがあったそうな。
こばとの療育中も<トイレ我慢こだわり>はなかなか解消しなかった。
そわそわから始まり、お尻もじもじ、腰くねくね。
スタッフは療育教室の一角にあるトイレの扉を開けて、いつでも彼が飛び込めるようにしておいた。
彼のシャツの前をめくり上げると、既にちんちんをズボンの上に出してさえいた。
「なんでそこまでこだわるのかねぇ。」スタッフは失笑して首をひねるだけ。
2年生に上がるころには<トイレ我慢こだわり>も目立たなくなった。
家では言い訳が多く素直にしない、妹達に自分の決まりごとを強要する、のがお母さんの悩みだったが、学校ではあまりトラブルは起こさなかった。
むしろ自分より強いものに迎合するほうだったかも。
6年の時、お母さんは息子が書いた詩を読んで驚いた。
私にも見せたくて、彼に気付かれないようこばとの連絡帳にこっそり挟んでよこした。
そこには、卒業したら自分は今までの自分を脱ぎ捨て、全くの別人になる。
自分の過去を知らない人と、今までとは違う世界を生きる。
というようなことが書いてあった。
彼はこばとに通ってきていることを、誰にも知られたくないと言った。
それなのに、彼は中学生教室に通うと希望してきた。
こばとでは7,8人1グループで中学生教室と言いう療育をやっていた。
一般常識の学習、社会性、社会人になるための土台作り。
私は、
「こばとに通っていることを友達に知られたくないんでしょ。だったら通わない方がいいよ。」
何度も言ったが彼は3年間通った。
別人になりたかったが、一か所ぐらい幼児の時から気心の知れている場所で、素の自分のままでいられることも望んでいたのかもしれない。
中学校時代のお母さんの悩み。
彼はリーダー格の男子の言いなりになる。
パシリをやってしまうこともある。
お母さんを心配させつつも無事に卒業出来た。
お父さんのようになりたいと言っていた彼。
大学にも入学したが自分に合う学科でなかったようだ。
今、30代の彼は自分らしく生きているだろうか。