あれ、何やってんの?・・・訳わかんない!・・・気味悪い。
口にださないまでも、怪訝な目で見たり、遠巻きに見たり、はては宇宙人扱い。
でも、自閉症を知っている人が見たら、
それらの行動の意味や、彼らの気持ちを察して対応するだろう。
危険を回避してやったり、困り感を除いてあげることが出来るかもしれない。
自閉症の特性、症状について知ってもらうことはとても大事だ。
療育中のこと。毎年恒例の夏合宿の時だった。
思い出す度感謝していることがある。
小学校高学年のグループ30人弱を引率して、高尾山に行った時のことだった。
重度から軽度までの障がい児を療育スタッフ+大学生ボランティアで連れて行った。
公共の交通機関を利用しての移動にこだわっていたので、総武線、中央快速を乗り継いで高尾山駅に行った。
さらに、そこから乗り換えて高尾山口駅に着いた。
宿泊はその当時まだ他県の団体でも利用できた高尾山ふもとのユースホステル。
一日目はユースホステル近くにある施設を見学したり、散策して無事に夜になった。
二日目はユースホステルの裏手にある登り口から、高尾山の山頂を目指して登山開始した。
一列縦隊で進み、けっこうの山道だった。
脱落者はなく全員高尾山山頂にたどり着いた。
引率者は頻繁に人員点呼、人数確認、目で子ども達を追っていた。
山頂の茶屋でグルーップごとに分散して昼食をとった後、高尾山山頂の案内所あたりで自由行動。
下山の時間になったので、全員集合させ、お金を使う練習がてら自販機にグループごとにジュースを買いに行かせた。
集合してジュースを飲んでいる子ども達をスタッフ、ボランティアがぐるりと取り囲んで、この時ばかりはほっと一息。
ジュースを飲んだら空き缶を自販機の傍の空き缶入れに片づけて、トイレを済ませたら、同じ集合場所に戻るように子ども達指示をした。
グループ毎にスタッフかボランティアが付いて見張ってはいた。
全員集合したので、最後の人数確認をした。
1名いなかった。近辺を探したがいない。
このまま子ども達をずっと山頂に待機させるわけにはいかない。
下山の時刻も迫っている。
山頂には私と大学生ボランティア(我が息子)が残り捜索を続けることにし、他の子ども達はユースホステルに帰るために下山することに決定。
下山開始を見届け、すぐ山頂の案内書に行き、迷子の捜索を依頼した。
子どもの年齢、服装、顔形を説明した後、6年男子は重度の自閉症で言葉は喋れない、ことを伝えた。
高尾山は山の中に放送のマイクが仕掛けてあった。
案内所の係りの人は迷子男子の特徴を言い、見かけた人は山頂まで連れて来てくれるように放送してくれた。
私と息子は無駄に探し回っても見つけられないだろうと思い、ひたすら誰かに発見されることを祈って山頂にいた。
1時間もたたないうちに若い男女が迷子の自閉症男子を連れて案内所に来た。
男女は相模湖から登るルートで山頂に来た。
彼らは「多動な子がいたので連れてきました。」と言った。
迷子男子は一見フツーにに見える。顔も美形だった。歩いているだけだったら、自閉症とは気付かれにくい。
「多動の子!」
若い男女は多動をしってる人だったんだ。
知らない人だったらすれ違うだけだ。
私は感極まってしまい、若い男女に詳しいことを聞きそびれた。
子どもを引き渡すと2人はあっさり去って行ってしまった。
迷子になった男子はジュースの空き缶を捨てに行き、そのまま前進してちょうど裏手にある相模湖に下りる道を進んだようだった。
男子がそのまま相模湖に下山してしまったら、と思うとぞっとなる。
我々3人は案内所の人に礼を言い急いで下山した。
その後は何事もなかったように予定のスケジュールをこなし、翌日は千葉に向かって帰途に就いた。
千葉駅でお迎えの保護者に子どもを引き渡して解散となった。
「多動」を知っている人に発見してもらって本当に良かった。
無信仰の私だが神のご加護に感謝した。
無事故で終わらせてやったからこばとを続けなさい、と言われた気がした。