夏休みも終わり直前の金曜日、
真っ黒に日焼けし筋骨たくましい、ガテン系でなおかつ美形の
洗濯奉行が1か月ぶりにパソコン教室に顔をだした。
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お母さんの連絡帳には、夏休み中に出かけた先や、やった事がいろいろ書いてあった。
(お母さんはとてもきれいな字を書く方で、B6ノートの連絡帳に2ページから3ページもびっしり書いてくれるんです。
時にはプリントアウトした写真なども貼り付けてあるのでリアルです。)
彼は今年も、茅ヶ崎の文教大学主催の4泊5日の富士登山プログラムに参加した。
天候悪化のため7合目で引き返して残念!!!とあった。
今年で4回目の参加。3回目の時は誰よりも元気に登頂したそうな。
それから、家族で東北のいくつかの山、それも低からぬ山に登ったと書いてあった。
彼は余裕たっぷりで山歩きをし、余力も残っていたと。
若さがまぶしい夏休みを満喫したんだなぁ・・・うらやましい!
あの超こだわり、超偏食の彼が・・・何一つ困ることなく青春を謳歌している。
こばとの幼児教室に来た時は発語もなく、
頑固でこだわりも多く、重度自閉症児そのものだった。
療育を開始してから1か月目ぐらいに、通園していた公的療育施設の窓から
外に転落して頭に大けがを負った。
しかし、1か月ほど休会しただけでこばとの療育に復帰した。
彼は強運の持ち主で、最高に愛情深い母のもとに生まれたようだ。
幼児教室の夏合宿に参加した時は偏食でひともめした。
こばとは合宿前に、宿泊所で提供される食事のメニューを保護者に配って
アレルギーの有無を確認してもらっていた。
彼のお母さんは、メニューを見て彼が食べられるものが一つもない、とかなり
不安を訴えてきた。
超偏食の割には体格も良かった。
私は、「何食べさせているんですか?」、と聞いた。
すると、「アツアツの出来立てのものであればお肉も魚も食べるんですが・・。」
そんなぁ~。合宿所では配膳が終わって、全員が着席する頃はいい加減さめている。
あまりに不安がるので仕方なく、
「例外ですが、彼の食べられる物を持たせて下さい。」と言った。
食事の時間になり、彼の持参した食べられるものを見ると、
真夏のみかん、おかし風パン、間食風のものが入っていた。
これじゃ他の子どもも欲しがってしまう。
仕方なく彼には皆とは離れた場所で食べてもらった。
翌年の夏合宿の時は自分食禁止。
みんなと一緒に同じものを食べてもらった。何かしら口に入れて水分を取って、睡眠をしっかりとれば大丈夫だから。
小学校の入学の時も頑固なこだわりは続いていた。
ランドセルが背負えない、とお母さんは訴えてきた。
ランドセルをこっそりこばとに持って来てもらい、ランドセルを背負う練習をした。
小学校は支援級に入り、偏食は少しずつ改善していった。
彼は基本まじめな性格でこばとでの学習も進んだ。
発語訓練も一生けん命で、1往復の会話も可能になった。オウム返しも多いが。
そんな彼は今やお母さんの自慢の息子である。
銀座の一流レストランに連れて行っても、少しも困ることがない,と言う。
彼は支援学校中等部の3年からこばとのパソこん教室に通っている。
ワードをやっているがローマ字打ちである。
ゼロから覚え始め、今ではすらすらと文章をうつ。
ひらがな→ローマ字は表で視覚的に覚えた。
タイピングも速くなった。
イラストやレイアウトは声掛けで素早く操作できる。
重度自閉症の能力を見くびってはいけない。
運動能力も伸びたし,作業能力抜群だ。
自転車も、水泳もマラソンもOK、トライアスロンを目指せ!と言っているほど。
体力もあるから農耕班では重宝される。
しかし、言葉がメインの現在の発達検査では、年齢とともに検査内容もあがるので
絶対的に不利、したがって判定は低くなる。
精神年齢はさらにゆっくり、ゆっくりだ。
お母さんの連絡帳の追記に
「ユーチューブを見すぎて時間が無くなり,髭を剃れなくて気にしています。」
と書いてあったので、帰り際
「ユーチューブで何見ていたの?」と聞いたら
「たんぽぽ!」と言って自分で検索キーをいれて、画面を出した。
お母さんと一緒の「たんぽぽ団に入ろう」だった。
食い入るように画面を見つめ、時々口を動かしていた。
彼は「しあわせだ・・・」とつぶやいた。
今なら歌詞が、内容が理解できる。
歌の楽しい雰囲気が分かる。
そういう精神年齢になってきたのだろう。
彼が、遊助のたんぽぽを好んで聞くようになったら、
さらに、精神面が成長した証になるんだろうなぁ!!