自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

母は弱し

幼児期の自閉症児の療育では

 

確固たる態度、揺るがぬ信念,

即断、即決、スピード判断、

不安、迷い、動揺を顔に出さない演技も必要だ。

 

家庭でも家族が共通理解をして、自閉症児に対しては一貫した態度で養育を

しなければ、自閉症児は自分の都合のいい方をぐんぐん押し付けてくる。

 

父親より、母親の方が子どもとの接触時間が長くなるので、毅然とした態度は

母親の側に要求されることが大半だろうし、多くのお母さんがそう振舞ってると思う。

 

しかし、中には自閉症児のこだわり要求、自己中心の行動におろおろしてしまう

お母さんだっている。

 

滑り止めは兄弟の存在である。

 

公的な療育相談の診断で自閉傾向あり、と診断された息子をこばとに連れて来たのはお父さんだった。

息子は3歳前で発語はなかった。目が大きいかわいらしい子。

 

お父さんは物腰は柔らかいが、れっきとした九州男子である。

連れて来た男児は4人兄弟の末っ子。

兄と二人の姉がいた。

 

療育を開始してしばらくの間、お父さんが彼をこばとに連れて来た。

私はお母さんがいないのかとさえ思い始めていた。

2カ月ぐらいたった時、やっとお母さんが連れて来た。

 

それまでは、たぶん、お父さんがこばとでの療育がどんなものか、

息子に合うかチェックしていたのだろう。

 

お母さんはとても内気そうな方で、笑う時も口をすぼめてシャイにほほ笑んだ。

お母さんも九州の人だった。

 

夫唱婦随の典型とも思えるご家庭だった。

 

お母さんは自閉傾向男児に対して強気、毅然とすることは出来なかった。

 

自閉症男児は多動ではなく着席も続き、学習も進んだ。

発語も間もなく出て、イントネーションも普通だった。

 

軽度の自閉症こばとではいい子だった。

 

しかし、家では爪も嫌がって切らせない。大騒ぎになる。

しかたなく眠っている間に気付かれないよう少しずつ切るという。

 

「いつまでもそんなやりかたでは・・・・ッ!」

 

私はお母さんがお迎えに来た時に、彼の指の爪を爪切りで切って見せ、

お母さんにもやってもらった。彼はおとなしかった。

 

私は「家でもパチンパチンするんだよ。」と彼に言った。

 

床屋にも行けない、とお母さんが言った。確かにザンバラの髪型だった。

 

こばとから5分の西千葉駅の駅中にある、なじみの1100円カットの床屋に

療育時間を使って彼を連れていった。

彼はおとなしく椅子に座って髪の毛を切ってもらった。

 

初参加の夏合宿の時、彼はまだ紙パンツを卒業できていなかった。

息子に紙パンツを要求されて、それに抗えない、とお母さんは言った。

 

「仕方ありません。合宿で紙パンツを卒業させますので、合宿から帰ったら

家の中に紙パンツを置かないでください。」と私はお母さんに念を押した。

 

 合宿当日、出発ぎりぎりの時間に彼は母親と兄弟に取り囲まれるようにして来た。

胸にはお気に入りの毛布を抱え、目を真っ赤に泣き腫らして現れた。

リュックはお母さんが持っていた。

 

彼は涙目になるとすぐに目のまわりが真っ赤になる。

 

合宿一日目、同じ紙パンツを穿いたままだった。

彼は何回も同じ紙パンツにおしっこをした。

 

夕方、宿泊所に戻る頃は、紙パンツはだぶだぶに溜まり漏れるほどだった。

紙パンツを脱がせ男子用便器に連れて行き、立っておしっこさせた。

紙パンツはない、ときっぱり彼に言い、布パンツに穿き替えさせた。

それからはトイレに連れ行き、失敗はなかった。

 

合宿から帰ってすぐ電話をかけ、家での様子を聞いた。

もしかしてこどもに負けて紙パンツを出していやしないかと思って。

 

お母さんは頑張って紙パンツは隠して出さなかった、と言った。

彼は家の中ですっぽんぽんの下半身をお気に入りの毛布で腰巻にしていて、

意地でも布パンツは穿こうとしない。

しかし、家族がそろって買い物に出かける時、しかたなく布パンツを穿いたそうだ。

紙パンツ卒業。

 

彼は外ではいい子だったし(というか小心)、学力もそこそこついてきた。

私は小学校は普通級でも行けるんじゃないか、とはなしたが、

お父さんは自分で見学した支援級に決めた。

 

お父さんは絶対だ。お母さんは反対などしない。

 

お父さんの決定が正解だったようだ。彼は好きな授業の時は普通級に行った。

 

彼が普通っぽく良い子に育ったのは、兄・姉のお蔭。

 

しかし、兄弟でも阻止できなかったのは食べものこだわり。

お母さんは彼のこだわりついつい屈していた。

気に入った食べものがあると彼は続けてそれを食べたがる。

ごま塩ごはん、その前は餃子、その前はざるそば、その前はチョコレートケーキ・・

チョコレートケーキなど、ない時は何軒も探したとお母さんは真顔で言う。

 

小学校2年の時は虫歯だらけになった。歯医者も行けていなかった。

私は子ども専門のこども病院に行くように勧めた。

全身麻酔で5本全部の虫歯を一度で治療してもらった。

 

それからは近場の歯医者にも行けるようになった。

 

中学校は支援級。高校は支援高等学校。素直に育った。

 

中学生の時こばとのパソコン教室に通った。タイピングは1級の速さ。

 

市立の支援高等学校に合格した時、お父さんとお母さんがそろって挨拶に来た。

やっと、息子の将来の見通しがついたような嬉しそうな顔だった。

 

息子は名探偵コナンに夢中で、将来は鑑識の仕事をしたいと言っていた。

 

社会人になる日も近い。

きっといい仕事につけるだろう。

 

 

支援級や支援学校出身を気にしない人と結婚できればいいな、と思っている。

 

 

 

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私は王女