救助を待っている時間は長かった。
山の中腹、しかも斜面の細い登り道。
目も開けず震えも止まらない彼に、
私も震えながら「大丈夫!大丈夫!もう治ってる!」と言い続けた。
やっと救急隊員が来て、彼を担架に乗せて細い山道を登り始めた。
私は担架の横を歩いたが、他のスタッフと子ども達は担架の後をまるでお葬式のように一列になって、黙々と歩いた。
皆、ことの重大さを理解しているようだった、
ヘリコプターがホバリングしているのは山頂の少し開けたところ。
到着するとすぐヘリコプターから綱梯子が下された。
隊員が気を失った彼を抱えてへリコプターに吸い込まれた。
私も乗るつもりであったが、ホバリングしながら長く待機していたヘリコプターは
燃料切れになりそうだと連絡してすぐに飛び去ってしまった。
私は、子ども達とあとのスケジュールをスタッフたちに頼んで
ひとりケーブルカーで下山した。
行先は立川の災害医療センターだ。
下山後、病院までどのような交通手段で行ったのか、全く記憶が抜けている。
無我夢中だったのだろう、
病院に着くと、
必要な検査はすべて終わっていた。
彼は夕飯に出されたものをすべて食べ、元気そのものだった。
怪我は足首のかすり傷だけ。
奇跡だった!!!
彼は、私の「大丈夫、もう治っている。」という指示に従っていた。
ただ重度自閉症の彼は、どうして自分が病院にいるのか分からず不安な表情だった、
行動面では落ち着いていた。
お母さんに連絡し、明日朝病院に迎えに来てくれるように頼んだ
彼を病院に一泊させ、私は一旦ユースホステルに戻った。
他の子ども達に動揺を与えていないか見てから、スタッフに彼の様子を話した。
ミーティングの後、この夏合宿にボランティアとして参加していた、大学生の息子
(4男)と顔を見合わせて、「すごすぎるよね。」
と言ったきり他の言葉が出なかった。
翌日も彼は元気だった。
合宿最終日だったが、お母さんに迎えに来てもらい、皆より一足先に帰宅させた。
あれほどの転落事故。
さすがに後遺症のことが気にかかった。
合宿解散後、すぐに電話を入れて彼の状態を確認した。
気になる症状は何も出ていなかった。お母さんも明るかった。
15メートルの崖から転落してかすり傷だけ?
あと10センチずれて石段の上に落ちていたら・・・。
考えるだけでもぞっとする。
翌日の地元紙に小さく記事が載った。
翌月、我々が歩いたすぐ隣の山で老夫婦の死亡転落事故があった。
大事故になっていたらその後のこばとはなかっただろう。
神様には何度も助けられた。
kobatokoba-kosodate.hatenablog.com
私は今年、年女。
もう大勢の子どもの療育はしていないが、一人だけ残っているスタッフと、一人の自閉症男児の療育とパソコン教室はまだ続けている
こばとを始めてから31年がすぎた。
療育中に考案した教材(こばとに通ってこれない子のための教材)は
今も全国に販売し、文科省の9条一般図書にもなっている。
神様は自閉症の世界と縁を切るなと思し召しなのかな。