自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

脈々と流れる川

こばとの訪問客はいつも突然

  社会人、軽度自閉症青年のお母さんが突然こばとを訪ねてきたのは

私、パニック真っ最中の時だった。

頼りになる相棒スタッフは休みで、私は頭に血をのぼらせてパソコンを叩いていた。

 ここ数日、何やらヤマトの送り状ソフトB2がつながりにくいと思ってはいたが、

26日には完全ダウンでシステムエラーしか出なくなった。

何度やってもシステムエラー!!!~!

 

 消費税増税前の駆け込み需要やら、台風災害の影響もあったのだろうが、

ヤマト運輸のシステムダウンは全国的にかなり影響があった。

 こばとも影響大だった。

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いつもお世話になっています

 

  こばとは療育期間中、手作りで教材を作っていた。

その教材をこばとに通えない、遠方の子ども達のため&スタッフの

人件費の足しにと、ドリル形式の教材に構成印刷して全国販売して来た。

 

 

 文科省の9条一般図書として支援学級・学校用の教科書としても使われている。

 

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28種類あります


 

 昔は電話・FAX注文だったが、世の中購買形態が変化して、

今はネット販売、アマゾン販売が主流になってきた。

それで、送り状を作成していた時に、ヤマト運輸のB2システムエラーに影響されたというわけ。

 

 言っておくが教材販売は儲かるものでない。

なので、こばとを運営するため、私は無給で働いている。

生活費は年金である。 

 

 

 話がそれてしまったが、事務室のスリガラスのドアに訪問客の姿。

私はあたふたパニクッて、酷い形相のままドアを開けた。

立っていたのは長い付き合いの軽度自閉症青年のお母さんだった。

 

顔を合わせるや、挨拶より先に

「お忙しいんですか!!」と言われてしまった。

「いや、そういうわけでも・・・暇ですよ。」

 

 軽度自閉症青年は30代前半。

こばとには小学校一年から療育に通った。

小学校は普通級、中学校は支援級、高校は支援高校高等学園。

こばと中学生教室社会トレーニンにも参加した。

 

 小さい時から独特の絵を描き、粘土の造形は個性的なフォルムの世界。

 

 おとなしく、生真面目タイプであったので学校時代は大きなトラブルはなかった。

性格は良いので皆に好かれた。

 

が、ストレスがたまっていると、道を歩きながらの独り言が多い、目立つ!!

というのがお母さんの悩みだった。

 

 私は「それなら携帯を持たせて、耳に当てながら歩くようにさせれば?

携帯を耳に当てていたら、喋っていても変に思われないんじゃない?」

と言ったこともあったっけ。

 

 彼は絵の個展を開いたり、招待作品になるほど独特の世界観の絵を描いた。

お母さんとは展覧会の案内状を貰ったりして折に触れて顔を合わせてはいた。

 

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展覧会招待状

 

  彼は支援高校卒業後はパン屋になるのが希望だった。

パン生地で粘土のように創作パンが作りたかったようだ。

 

パンを作る会社に就職した。

はじめは会社の系列のレストランに配属された。そこはセルフサービルの食堂で皿洗いや盛り付けをやらされ、彼の言葉によればくたくたになるほど忙しかったそうだ。

しかし、そこでは人との関わりもあり、お母さんは好ましいと環境と感じていた。

 

 2年後パンの部署に移動になって、パン作り出来ると喜んでいたが、

実際にはパンには触れず、袋詰めや鉄板掃除、事務的な業務が多かった。

一人黙々やる仕事だったので、自閉の症状が強くなっていった。

 

 心配したお母さんが相談に来た。

 

 繁忙期など都合のいいように勤務させられ、ストレスと疲労自閉症状が強くなるのでお母さんはパンの会社を辞めさせたがった。

ところが彼は真面目一方なので頑固に辞めたがらなかった。

 

ある時、仕事上でミスを犯した。

お母さんはチャンスと思い、彼に退職を勧めた。彼もやっと同意した。

お母さんはミスのお蔭で辞める気になってくれてよかった、と言っていた。

 

その後、彼はハローワークにあるキャリアセンターという就労支援に通った。

 

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キャリアセンター

 

 前会社での勤務態度が真面目だったので、彼はすぐに再就職出来た。

 

 障害者を雇用する社会福祉法人の会社だ。

彼はパン作りだけでなく、パソコンの仕事もやる。

通勤時間はかかるが、いろんな部署で仕事ができるようになった。

気持ちも安定し、ストレスも少なくなったようでお母さんもひと安心したようだ。

 

彼は自分の給料で家の近くにアパートを借りアトリエにして創作活動は続けていた。

 

お母さんの方は彼が社会人になってから、障がいの子どもを持つお母さん同志で何かやりたい、と言っていた。

実行力もあり、月1,2回貸店舗を借りて同志でカフェやり始めた。

気兼ねないおしゃべり、悩み相談、情報交換、後見人制度の勉強会を開いていた。

 

お母さんが突然こばとに来たわけ

 

そろそろカフェを固定して、いつでも集まれるような場所にしたい。

こばとからそう遠くない場所で、閉店した古びたスナックがあり、ちょうど

良いかもと思っていたが、白アリが出て不動産やの方からキャンセルになった。

 

どこか手頃な空き店舗はないだろうか、と言う相談だった。

 

 私は心当たりに聞いてみる、と言ってその場の話は終わった。

 

私はパソコンに戻ったが、相変わらずシステムエラーが続いていた。

やけくそになりシャットダウンした。

ヤマトの送り状システムエラーは翌日回復した。

 

翌日、私はこばとが西千葉移転時からお世話になっている地域では大きい

不動産屋さんに話をに持って行った。

 

 障がい児の保護者が気軽に集まれるカフェと聞いて、

不動産屋の女性の専務さんは乗り気になってくれた。

彼女のお孫さんも自閉症である。

 

 お母さんとカフェ仲間は不動産屋に何軒か紹介してもらった。

 

カフェには彼女の息子のアトリエを移し、展示できる場所も併設したい。

他の障害者の作品も展示したい。

 

 障害を持つ保護者が気軽に集まって、なんでも気兼ねなく話し合ったり、悩みをを相談したり、講師を呼んで勉強会を開いたり・・・

 

カフェは自由に配置換えできる可変性も必須条件。

 

でも間もなく、良い物件が見つかるだろう。

 

いいですねェ。お客参加型カフェ。

 

同じ思いを持つお母さん方は集まればすごいパワーを発揮!!!。

 

夢に向かっていますね。

30年も前から脈々と流れている夢の川。

今は夢じゃない実現の川。

 

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早々と冬仕様