(ミスった公開記事の手直しをしました!)
前記事の軽度自閉症青年には親友がいる。
kobatokoba-kosodate.hatenablog.com
学年が同じで、療育や夏合宿など、同じに日に活動を共にすることが多かった。
二人ともどちらかといえば、穏やかな性格で気が合うようだった。
二人は一緒に、率のある支援高校[高等学園]を受験したが、
自閉症青年の方は合格し、親友君は不合格だった。
親友君は緊張のあまり、面接時に不適切な行動が出たようだった。
つまり、やたらに笑ってしまったというのだ。
支援高校は別れてしまったが、二人の友情は変わらなかった。
在学中も、支援高校卒業後社会人となっても、二人はメールのやり取りをして
互いの休みが合う日は、映画を見に行ったりして変わらぬ友達づきをしていた。
話は変わるが、
こばとでは20周年に記念文集を作った。
社会人になったこばと卒業生、中学生以上の在籍者、保護者に
原稿の依頼の手紙を書いた。
子、親、親子どの組み合わせでもよいので、何でもよいから書いてくれと頼んだ。
60篇集まった。お父さんからも4篇寄せてもらった。
相談に乗ってもらっていら小児神経の先生、頼もしい臨床心理の先生、
多くの障害者が働く舞浜ビジネスのジョブコーチ(元こばとスタッフ)にも
参考になる文を寄せてもらった。
集まった原稿は誤字と文法の誤用のみ訂正して、イラストや写真を配置して
懇意にしていた印刷屋に頼んだ。
療育の合間というより、ほぼ夜なべ仕事だったがよくできたものだ。
校正から印刷屋との折衝も自分一人でやったが、
なにより原稿を寄せてくれた人達に感謝、感謝。
ちなみに5周年記念文集は「えにしありて」
7周年記念文集は「思いをひとつに」
その後は療育児童が多くなりすぎて文集どころではなくなった。
設立20周年記念文集、頑張って作ってよかった。
今、開くとなつかしい面々がパーッと脳裏にひろがる。
20周年記念文集のタイトルは「夢に向かって」
この20周年記念文集に、親友君が自分で書いた文章が載っている。
就職して間もないころだ。
これから社会人になる支援学校卒業生の参考にもなると思うので、
全文載せてみたい。
「職場のこと」
親友くん(当時21才)
勉強は嫌だと時々思った。いつも遠藤先生はやらないと大人になれない、しゅう職できないと言ってました。
勉強出来た時は、「できたね。」と言われてうれしかったです。
こばとで毎年参加した合宿でつく波山に行ったことを覚えています。
石がごろごろしてとても歩きにくかったです。でも楽しかったです。
今はレストランにしゅう職して3年目です。しゅう職できてよかったです。こばとの先生もよろこんでくれました。
2年半働いたお店から異動になりました。
新しいお店の人も全員いい人なので、親切に教えてくれます。
仕事は前のお店と同じで、食器せんじょうと届いた食材を冷ぞう庫や
冷凍庫の決まったたなにいれる配送の仕事です。
ごはんの係もします。毎日大きなケースで五本くらい食材が届きます。
ちょっと残念なことは、時々食事を残す人がいます。きれいに食べてほしいです。
お給料でDVDレコーダーを買ったり、バス旅行に言ったりほしい物を買いました。
お給料が楽しみです。これからもがんばって働きます。
休日はスペシャルオリンピックのバスケットに参加したり、
音楽を聞いたり、ビデオを見ています。
スペシャルで映画に参加していろいろな所に行きました。
こばとの先生これからもがんばってください。
自閉症青年と親友君は2005年の長野で開催された
スペシャルオリンピックス冬季世界大会の
撮影隊のクルーにもなった。
普通では出来ないような経験を二人はした。
親友君は今も同じファミレスチェーン店で働き続けている。
二人は、一人で、または二人で、またはグループで余暇も楽しめている。
おかげと言っていたが。
前記事 脈々と流れる川で自閉症青年のお母さんが
カフェ用物件を探していると書いたが、
決まりました!
家賃が予定より2万円高かったようだが、希望にぴったりの好条件。
2万円ぐらい何とかなる。
不動産屋さんのご尽力に感謝!!!
開店に向けてお母さん方は忙しくなるだろう。
20周年記念文集の表題が実現だね!