療育中にパトカーに乗った話。
前回の記事で、支援学校に在籍する重度自閉症男子の実習を書いた。
(筆まめなお母さん方で実に詳しく、パソコン教室の連絡帳で報告してくれる。)
2人とも幼児期の3歳の頃からこばとの療育に通って来て今に至っている。
13、4年以上の付き合いだ。
しかし、療育開始が遅かった重度自閉症児や、症状が重い場合には作業というより
だいぶ昔の話になるが、こばと開設一年目は10歳になってから、
療育を希望してきた重度自閉症の子が何人かいた。
最初の頃は10歳からでも療育を引き受けていた。
ところが、たちまち療育希望の子供が増えすぎて、2年後には
就学前の児童しか受け入れられなくなってしまったのだが。
思い出深い彼女もこばと開設一年目に療育に来た。
その時は既に10歳になっていて、重い自閉症状は固定化しつつあった。
前歯をむき出して、歯にカチカチ堅いもの、ブロックなどをあてて
音を出す?振動?が好きだった。
歯も出っ歯ぎみだった。たぶん指しゃぶりがあったせいかも。
体格も良かった。お母さんは小柄な人でまるで姉妹のようだった。
お母さんは内気そうな人柄で、娘は2歳前はたしかに言葉も出たのに、
百日咳をやった後喋らなくなった、とためらいがちに何度か言っていた。
自閉症の原因が気になっていたのだろう。今ほど脳科学が広まっていなかった。
長女の彼女は発語がないが、年ごろになって、妹が上から目線で指図したりすると怒り、噛みついたりする。
車の後部座席に乗せている時に、生理用ナプキンをはずしてリアウィンドウに張り付けたりする。
そんな結構深刻な内容の話でも、お母さんは娘の行動に戸惑っているような
苦笑いを浮かべながら話す人だった。
こばとの7周年記念文集にお母さんの
娘の実習体験の一文が載っているのを見つけた。
〇川〇子
娘 〇〇養護学校高等部(1年)→平成19年後に養護から支援と変わった。
我が家は、思春期の娘に振り回されています。
今一番難しい年頃で、泣いたり笑ったり、機嫌よくしていたはずなのに
急に不機嫌になったり、本人の話をしているわけではないのに
話の内容や言い方等がきつかったりすると怒りだしたり、
はれ物に降れる思いをすることが何度もあります。
そんな娘も生活体験をする機会に恵まれ、初めて未知の人たちの中で
寝起きを一緒にする生活をしてきました。
家では一目瞭然でも、一歩外に出ると何事が起こるかも分からないので
留守中は、親の方が気懸りで外出も出来ないほどでした。
娘も神経を使ったようで今でもおなかの調子が悪いようです。
おかげで体重は減りましたが、私としてもよい経験ができ
親離れ、子離れの一歩かもしれないと思ったりしています。
彼女は本当に印象に残っている重度自閉症女子だった。
レジャーシートを広げ、お弁当と食べ放題の梨を食べた。入園料は先払い。
梨の皮むきはほぼ全員、スタッフがつきっきりで介助。
帰りに全員お土産の梨を一個ずつ買うため入口の精算場所に並んでいた。
引率スタッフは参加メンバーの財布からお金を出させることに、
目と気持ちが集中してた。何しろほとんど介助なので。
いざ彼女の番と振り返って列を見たところ彼女はいなかった。
わずか、数分の間なのに!!!
残りの参加メンバーの引率を他のスタッフに頼み、
私はすぐ警察に連絡し、事情を話した。
彼女以外の全員が帰路の電車に乗るため、スタッフと一緒に駅に向かうのを見届け、
私はパトカーに乗り込んだ。
恥も外聞もなかった。
彼女を見つけなければ!!!、ということで頭がいっぱいだった。
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もう1500字を越えてしまった!!!
パトカー騒ぎは梨狩りだけでないので
顛末は次の記事に載せます。