自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

パトカー その2

-油断してしまった!!!

 

彼女はグループの認識がない!!

人の区別は日常的に身近な人だけ、あとはその他大勢なのだ。

もともと、多動なので動く人がいるとつられて動いてしまうタイプだ。

 

梨園につながる通り道をパトカーの中から目を凝らした。

そんなに時間はたっていない。

服も目立つ色だ。(お母さんの配慮)

彼女らしき人物はいないか、身を乗り出したり、首を後ろにひねったりして探した。

 

通りを2ブロックぐらい走行したところでパトカーに無線が入った。

 

駅前の蕎麦屋さんから、女の子が一人で店内にいると警察に連絡が入ったそうだ。

すぐさま蕎麦屋さんに向い、蕎麦屋の店主に状況を聞いた。

 

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駅近くの蕎麦屋


 

 彼女は他のお客4人と一緒に入って来たという。

4人のお客が帰っても、彼女は帰らず椅子に座っているのでおかしい。

話しかけても返事がない。それで警察に連絡したとのこと。

 

 私は、彼女がよそのお客が頼んだ食事を取って食べたり、

自分に食事が来ないことに怒って騒いだりしなくてよかった!

良く、我慢できた!褒めたいくらいだ。

 と胸をなでおろしたのを覚えてる。

 

 たぶん、その中年の4人のお客も梨狩りに来ていて、我々のグループより

ひと足先に支払いを済ませて出口を出たのだろう。

彼女は自分のグループの意識がないので、

その動いた4人の後につられて付いて行ったと推測。

蕎麦屋に入ってくれてよかった。

 

 其の頃の中学生社会トレーニングのメンバーは

どちらかというと発語のない重度の自閉症が多かった。

 

私は彼らにいろいろな社会経験をさせたくて、いろいろな所に連れて行った。

夏合宿もそうだが、今思えば無謀な計画ばかりだった。

 

社会トレーニングは月一回。

たしか1月の活動だったと思う。

彼らを成田山新勝寺に連れて行った。

 

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すごい人出だった成田山

 

当然混雑は予想されたはずなのに、連れて行きたい一心で連れて行ってしまった。

 

 成田さんは大勢の人でにぎわっていた。

 眺めるところを眺め、

 食べる物を食べて、いざ帰る時間になった。

 帰りは長い階段を下りなければならなかった。

 すごい人の波だった。

 

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下りの階段は怖いくらいだった

 

 メンバーがはぐれないよう、2人ずつ手をつなぐようにきつく言った。

スタッフが周りを囲むようにしたのだが。

彼女も手をつながせた。

相手は彼女と同じくらい重度の言葉のない自閉症男子。

 

それが失敗のもとだった。

 

スタッフが彼女と手を繋げばよかったのだ。

 

  階段の下に降りきった時彼女の姿はなった。

  男子にどうしてちゃんと手を繋いでいなかったのか、

  と一応言ってみたが分かるはずがない。

  組み合わせた私が悪かったのだ。

 

多分すごい形相だったと思うがメンバーを出口近くの安全な場所に誘導し、

場所から動かさないように他のスタッフに頼んで、

成田山の警備員と警察に、自閉症で言葉がない女子が迷子、と連絡した。

 

駆け付けたパトカーに乗り込んで、成田山の周辺の通りを人の流れに沿って

走ってもらった。

 

2キロ先を彼女は歩いていた。大股で

泣きもせず、堂々と歩いているので、誰も迷子とは思わなかっただろう。

 

 出口付近で待っているメンバーと合流し帰路についた。

 

反省点満載だった。

 重度自閉症を引率する時の留意点を彼女から教わった。

 

パトカーのお世話にはならなかったが、

やはり社会トレーニングで、千葉にある房総の村に連れて行った時、

 

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あの頃は虚無僧が歩いていた。

 

 

野外ステージに置かれた、自由に叩いてよい大太鼓

彼女が涙を流しながら無心に叩いていた姿が忘れられない。

 

 

 彼女は思い出深い自閉症女子だった。

 

 今はもう40代になっただろう。

 お母さんも70代に近いかもしれない。。

 

年賀状が来なくなって久しい。どうしているかな。

 

 

 

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あの頃の姿しか想像できない。