自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

癲癇

 思春期には自閉症も言葉に出さず悩む

 

1997年、ピカチュウの光点滅でテレビを見ていた数百人が

光過敏性てんかんを起こした事件があった。

この場合の症状は一過性のものと片づけられた。

 

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人気絶大だったピカチュウ

 

 自閉症は思春期になって癲癇を発症するケースが

 健常者に比べて有意に多いという。

 

こばとには幼児期から癲癇症状を持っていた子も何人かいたが

思春期後に発症したケースも少なくなかった。

 

中度自閉症の彼(今30代)もそうだった。

 

幼児期からこばとに来ていた彼は多動というより臆病・不安が強いタイプ。

何事も真面目。失敗すると大仰に顔をしかめてへこんで見せた。

 

お母さんの話によると、

養護学校高等部(現在の支援学校)の時、何か所かで職場実習をこなしたが

真面目そのものだった。

弁当屋で実習した時は、仕事中話しかけられると、手を止めてきちんと

姿勢良くして答えたらしく、それがマイナス評価になった。

仕事中は手を止めないで答えられるように、と職場の上司から言われたそうだ。

 

 それでも真面目な彼は支援学校卒業時にはに就労が決まった。

厨房の仕事だった。

彼の能力、性格からいって、彼ならしっかり勤まるだろうと

誰もが良かったね、頑張ってね、とお祝いを言った。

 

それなのに、それなのに

みんなに励まされてプレッシャーだったのか、

初出勤の日に彼は癲癇の発作をおこしてしまったのだ。

 

お母さんにその話を聞いた時、

「あんまりがばってね、と緊張させ過ぎたんじゃない?夜はちゃんと眠れていたの?」

「確かに、なかなか寝付けないようで、夜中も起きてトイレに行ってた。」

 

癲癇の方はすぐ専門病院に行き、合う薬を処方してもらって発作は収まった。

たが仕事の方はダメになってしまった。

厨房なので角が多く、狭い場所で発作を起こされると危険だから、と。

もっともなことだ。残念だが仕方がなかった。

 

しばらくしてから、授産所(現在の就労支援事業所)に通うことにった、

と知らせてきた。

 

彼に希望もって育てていたけに、お母さんもどんなにか残念だったことだろう。

 

お母さんは母親・主婦の鏡のような人で、味噌まで手作りする人だった。

3人の息子を愛し、夫を愛しあたたかい家庭を築いていた。

 

長男の彼は、4才の頃からこばとに療育に通った。

お母さんはこばとの7周年記念文集に下のような一文を載せていた。

 

「あの時、こうやればよかったのかもしれない、と思うことがないよう、

その時その時を一生懸命考えてやろうと。

一緒に考えて助言してくれ、何事にも協力してくれる主人がいる。

その主人にありがとうの気持ちを忘れないようにしている。

自分たち親子の助けになってくれた人達にも、それ以上のありがとうを忘れない

 

そのお母さんが、「長男の事ではないが・・」と相談して来たことがあった。

 

次男のことだった。

この子もとても良い子で、長男の送迎の時に時折顔を合わせ、声をかけていた。

確か、3年生か4年生の頃だったと思う。

 

お母さんの相談というのは

次男がふさぎ込んでいて、何かあったのか?と聞いても

「何でもない。」というばかりで何も話してくれない。

私の催眠で次男のふさぎ込んでいる理由を聞きだしてもらえないだろうか。

という話だった。

 

当時、私は自閉症の子ども達に役に立つ何か良い手段はないだろうか?と

カイロプラティックやヨガやらを試していた。

催眠も習い、実践もしていた。

 

こばとが休みの日に、次男に来てもらって催眠を試みた。

催眠状態に入った時、彼に学校の様子や友達の事を聞き出した。

学校は楽しいというだけで、ふさぎ込みの理由は言わずに催眠終了。

お母さんにもそのように伝えた。

しかし、家に帰ってから、それまで理由を話してくれなかった次男が、

筆入れの中にいじめの文言が書いてある紙が入っていた

と話してくれたという。

もちろんお母さんはすぐに解決に向かって動いた。

 

 

そんなこともあったっけ。

 

話は逸れてしまったが、

彼とは授産所に移ってから、年賀のやり取りもなくなっていたので、

近況が知りたくて彼に年賀状をだした。

 

彼の年賀状には、

リクルートスタッフイングクラフツで働いている。

グループホームに入って一人で暮らしている。

お母さんも元気です。

 

と、コメントが書いてあった。元気に働いていてよかった。

 

お母さんが力を尽くしたのだろう。

服薬をきちんとして癲癇の症状は抑えられたのだろう、と想像している。

よかった!よかった!気懸りがまた一つ減った。

 

 

自閉症は気持ちを言葉に出せないためか、思春期に緊張やストレスに晒されると、

悩みをかかえて、不眠や睡眠のリズムがくずれたりしたとき時に

発作を発症するケースが多いようだ。

 

kobatokoba-kosodate.hatenablog.com

 

 長い道のりの双子の弟君もそうだった。

 

支援学校高等部の時のこと、弟君の方はやさしい、ていねいな性格だったので、

養護老人ホームに就労することになっていた。

 

其の頃、両親は別々に車を持っていて、それぞれ仕事で乗り回していた。

何の因果か、両親は同じ時期に、同じような交通事故を起こしてしまったのだ。

物損事故で済んでいたが、たぶん家の中にあわただしい雰囲気があったのだろう。

動揺しているようではなかった弟君がてんかんの発作を起こしてしまった。

 

その話を聞いた時、私は夜はちゃんと寝ていましたか?と聞いた。

夜中起きたり、トイレに行ったりしている気配があった、とお母さんは言った。

 

何より、就労の事が気になったお母さんは癲癇のことを正直に話した。

 

就労予定の養護老人ホームに聞いたところ、

施設には看護師も常駐しているから、癲癇があってもOKだと言われた、と。

そのことをお母さんに聞いた時は本当にいい所に就労した。

運がいい、良かった、良かったと思った。

 

兄君の方から年賀状が来た。兄の方は明るく元気。

道の駅で働いている。

二人とも同じところで続いているようだ。

余暇にはボーリングをやっている、と書いてあった。

 

 

こばとには思春期過ぎてから癲癇を発症する子ばかりでなく、

幼児期から癲癇症状を持ってこばとの療育に来た子も何人もいる。

 

夏合宿の時は薬の管理が、責任重大で大変だった。

一人二人ではなかったし、癲癇以外の薬を飲んでいる子も何人もいたので。

 

幼児期からの癲癇の記事も書きたかったが、

長くなりそうなので次に続く・・・で。

 

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退屈のあてつけ