自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

癲癇 パート2

偏見がプラスされる持病

 

 1970年にアンドロメダ病原体』というSFの本と映画があった。

その作品中に女性の科学者が出てくるが、

宇宙船?研究所?で非常事態が起きて、トンネルのような通路を避難する。

女性科学者は通路の警告灯の点滅を見ているうち、

癲癇の発作を起こしてしまうという場面があった。

 

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かなり昔の本

 

 

 

ピカチュウの光過敏性癲癇とは異なり、女性科学者はもともと癲癇の持病があった。

それを知らなかった同僚の科学者達は驚いてしまった。

 

こばとには療育を受けに来る前に癲癇を発症していた子も何人かいた。

 

こばとの幼児教室に来た女児は発作が起きると即入院、

重症のタイプだった。

お父さんが連れてくることが多かった。

来始めの頃は、足もとも不安定で入口のドアから

玄関マットに倒れ込むように入室していたことを思いだした。

言葉もないに等しい不明瞭な発音で、自閉の症状もあり、無表情で笑わなかった。

目線が合わないというより斜視のせいもあり、斜め上空間を見ている感じだった。

 

 彼女は小学校5年までの間に何回か発作を起こし、

その度に1か月から3か月の長期入院になった。

専門病院でもいろいろ薬の組み合わせを試みてくれてはいた。

 

 療育はあきらめず退院するとすぐ復帰した。

発作をおこす度に入院となるので私も悩んだ。

 

どういう時に起きるのか?お母さんに聞いた。

高熱が出ると発作につながるが、風邪の熱では発作は起きないという。

それ以外の熱とは?

 

彼女は頑張り屋。負けず嫌い。

療育が進んでくると、よたよたしていた体もかなり使えるようになり、

自転車、縄跳びもマスターした。しかし何でも頑張りすぎ。

 

頑張りすぎた挙句、」疲れ、睡眠のリズムが崩れ、

寝つきが悪くなり、朝なかなか起きれない。

そうしているうちに熱が出て発作なる、という傾向があると母さんが言った。

それじゃ、朝起きられなくなったら要注意だね。

本人が頑張る!と言っても、セーブして休ませるようにしてはどうかと提案した。

 

5年間無発作が合言葉になった。

 

お母さんがそれを実行したか、

病院の薬の組み合わせがちょうど合って、良かったかその後、

支援高校を卒業するまで発作は起きなかった。

卒業後は就労支援事業所に通った。

去年は年賀状が来たが今年は来なかった。ちょっと心配だ。

 

 

 

自閉性はないが、小学1年からこばとの療育に来た男児も重症の癲癇だった。

発作を起こした後、療育に来た時は空間認知のダメージが大きかった。

読字はダメージしなかったが、

それまではリンゴの図形を見ればリンゴと言えたのに、

発作後はリンゴと認識できなかった。

涎も出るようになった。

頭を小刻みに振る仕草も少し出た。

 

お母さんとは

生活のリズム、睡眠のリズムを整え、頭をいっぱい使わせようと話し合った。

 

その後服薬は継続していたが発作は収まった。

空間認知の弱さは変わらず、絵など形を描くのは難しかった。

手先、指先の不器用さはひどく、何をするにも時間がかかった。

普通で高校まで行ったので、いじめとまでいかないまでも

体育の時など心無い罵声を浴びて、ご両親は心を痛めた。

 

高校卒業後は合板会社に就職した。その頃には薬も卒業できた。

しかし、残念なことに会社はリーマンショックで倒産してしまった。

ハローワークのキャリアセンターを経て転職した。

こんどはガラリと変わって結婚会場の厨房。

上司が変わった時、つらいこともあったようだが今は落ち着いている。

 

仕事の休みの日にこばとにパソコンを習いに来ている。療育の延長上のようだ。

 

 

癲癇は薬の組み合わせ方でも効果の表れ方に変化があるようだ。

気持ちの切り替えが悪く、いつも不機嫌で、

くずりが多かった知的障害の癲癇症状をもつ男子は、

こばとに療育に来るようになって半年ぐらいたった時、

癲癇の薬を別の組み合わせに変えたら、まったく違う性格になり、

笑顔が多くなって、明るくて素直な性格に変わってしまった。

 

 

生後3か月で癲癇を発症した女児は、乳児重症ミオクロニ-という難治性の癲癇だった。薬を変える度に、性格も変わって、どれが本当の娘の性格なのか分からない。

とお母さん嘆いていた。静岡のてんかんセンターにも入院した。

発作に慣れ過ぎて、仕方ないと思わず、

脳を鍛えて発作の回数を減らすよう頑張ろう、というしかなかった。

 

 

癲癇の薬は難しいようだ。

 

前記事でも書いたが、思春期は要注意だ。

 

進路の分かれ目に癲癇発作を起こす子な何人かいたが、

薬を飲んでいても節目、節目に発作を繰り返す子もいる。

 

彼の年賀状にも発作が起きたことが書いてあった。

最初の発作は支援学校卒業近くになって進路がはっきり決まっていなかった時。

 

ちょうどこばとの卒業生を送る会の社会トーニングの前だった。

発作は収まっていたので社会トレーニングには普通に来たが

お父さんにはかなりショックだったようで心配してついて来た。

「発作から覚めた時、『お半畑がきれいだったよ。』なんて言うので

もう~こっちが動転しちゃったよ!」

とお父さんは何とも深刻な表情で言ってきた。

その日の社会トレーニングの活動には隠れてずっとついてきた。

 

彼の場合、最初の発作の後、薬を飲んでいたが、

その後も緊張・ストレスのある時には再発を繰り返している。

就労移行支援から特例子会社に正式に就労した時も発作を繰り返してしまった。

解雇にはならなかった。

年賀状には盲腸の腹腔手術の入院中にも発作を起こしてしまった、と書いてあった。

 

癲癇にはいろいろタイプがある。

夜、寝入りばなに発作を起こすタイプや、

朝、起きがけに発作を起こすタイプなど。

 

症状が重症のタイプもあるが、見落としてしまいそう症状もある。

 

療育中、学習の最中にうつむいて動きが止まってしまった小学3年の男児がいた。

おやっ、と思った。

だだの静止にしては違和感があった。

ほどなく普通の雰囲気に戻った。

 

そのことをお母さんに伝え、しかるべき病院で脳波を取ってもらうように勧めた。

お母さんは看護師だった。

すぐ病院で脳波を取ってもらったところ、癲癇の棘があると診断された。

 

 服薬で発作が抑えられて5年以上たち、薬もなくなる子もいれば、

薬と縁の切れない子もいいる。

 

ストレスや季節の寒暖の出る時に発作を起こすケースが多いので、

承知していれば予防の手立てを考えることも出来るだろう。

 

夏合宿の時の薬管理、健康観察にはかなり気を使ったっけ。

 

 

しかし、過剰に活動を制限したり、偏見の目で見られるのもまずい。

正しく理解してもらい、服薬さえ忘れないよう管理し、

思春期以後であれば、本人にも管理できるよう指導していく事が自立へ道!!!

 

 

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      様子は次記事に・・・

 

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隣犬のおさがりをもらった