自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

ワープ

ワープした時間

 

アトリエ・カフェが開店したしたお蔭で、

もう会うこともないだろう、と思っていた子(30代)に会った。

 

アトリエカフェ・オープンのお知らせのはがきがきっかけとなって、

カフェではなくこばとに来る気になったようだ。

 

夕方、彼はお父さん、お母さんと一緒に車で来た。

 

3人とも、全く変わっていない。あの頃のまんま。

彼は30代半ばだが、ガタイは大きくなったけど全身から出る雰囲気はそのまんま。

 

こばとが海の家を間借りしてスタートして、間もなく彼は療育に来た。

かなり遠方なのに、お父さんが車に乗せて来た。

良くこばとをさがして来たものだ。

その頃の彼は年長児になったばかりで一年後は小学入学。

 

一目見ただけでもわかる自閉症特有のこだわり、仕草。

ザ・自閉症自閉の看板を背負っているのではないかと思うほど。

 

直角歩き、

ドアの開け閉め繰り返し、

手首のくねくね、関節カクカク、

気になる場所の行ったり来たり。

 

言葉は出ていたがドモリ気味の繰り返し言葉、

近い距離で目を覗き込むように急き込んで話す。

彼はその頃、抱っこ法にも通っていたようだった。

 

こばとは開設したばかりだったので、

東京のコロロ学舎の久保田先生が視察に来た。

ベテラン女史も彼の自閉的行動にはちょっと目を剥いていたくらい。

 

不安のかたまりのような表情をしていて、笑顔はめったに出なかった。

動作一つ一つにこだわりはあったが、学習は少しずつすすめた。

こばとが西千葉に移転しても通ってきた。

 

小学校入学の時期、

両親は家かから近い小学校の普通学級に入れるつもりでいた。

しかし、彼は学校の教室の中に入れなかった。いろいろこだわって。

困り果ててお母さんが相談してきた。

 

やむを得ず入学前、彼の家まで出向いた。

彼と二人だけで放課後の学校に行き、教室に入る許可をもらって

彼を連れて教室に入り、

机に触らせ、椅子に座らせて教室の雰囲気に慣れさせた。

腰が引けて、動作が恐る恐るだったり、

教室の入り口で行きつ戻りつしたが、何とか入学できそうなところまでクリアした。

 

一事が万事、その調子であったが学校の理解もあって、なんとか普通学級で過ごした。

その間、一人歩きも練習し、こばとにもずっと通って来ていた。

 

5年生の時、彼はこばとの教室に来ている子は

自分が通っている普通学級の子ども達とは違うということに気付いた

 

それ以来、学習そっちのけで席立し、自分より学年下の自閉症児の傍により、

自分の言葉をオウム返しさせたりした。

オウム返しすると満面の笑みを見せて声を出して笑うのだ。

 

これはまずい!!!

他児と距離をもたせるしか彼のこだわりを止める方法ないと、

彼にはこばとの療育をやめてもらった。

 

彼は中学校も家から近い普通中学校にすすんだ。

 

学生社会トレーニンであれば、ほぼ同学年。

彼も5年生の時のように、他の自閉児にオウム返しを言わせることもなかろう、と

参加を誘った。

彼は喜んですぐに申し込んできた。

初めての社会トレーニンは電車バスを乗り継いで、

大規模のアスレチック公園に行った。

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広大なアスレチック

 

中学生たちなので、進む方向を同じコースにすれば

スタッフも安心して見守り、自由にチャレンジさせることができた。

 

終わりに近づいた時、彼は突然、

「僕は辛い、辛いんだ!」と大泣きし始めた。

 

普通学級の中にいて自分以外の自閉症はいなく、

学校のクラスの中には心通わす友だちもいない辛さがあったのだろう。

 

社会トレーニンのメンバーの中には彼と波長の合う自閉症男子がいた。

知的レベルも、自閉の症状のあらわれ方も似ていた。

彼ほどこだわりはひどくなかったが・・・

 

帰り道、彼は同波長男子と肩を並べて歩き、何やら笑いながら会話していた。

近づいて耳をそばだてると、二人だけの自閉的会話。

 

私は「あんた達みんなにわかる会話してよ!」と声をかけた。

 

この話は前の記事にも書いたような・・・・

 

彼は月1回の社会トレーニンは欠かさず参加した。

 

私は普通高校は厳しいのではと思ったけれど、

両親は農業系の普通高校に進ませた。心配だった。

 

高校になってからは2カ月に一回のこばとになった。

内容は社会トレーニングと同じ。

 

高校時の様子はお母さんからは、時々もれ聞こえた。

 

高校は電車通学していたが、駅から高校への登校途中

我慢が出来なくて野糞をしたとか、

中学校時代の級友が懐かしくて、

(別に友だちではなかったろうが、級友たちは皆別の高校に進学したので)

顔が見たいあまり、皆が電車から降りる時間帯に、

駅の改札にずっと立っていたとか、

高校3年生の時ハロウワークで職能検査を受けたが、

判定は重度だったとか、

 

お母さんは「うちの子は重度ではない!!!」とクレームを言ったようだった。

しかし、職業人になるべく何の訓練も、実習もしなければ

職業人になるべく基本的態度も身についていなかったのだろうことは、

想像に難くない。

 

その後は作業所から訓練することになった、と聞いた。

作業中に「もう座っていい?」とか、「もう終わりにしていい?」と言うので

作業所のスタッフから[まだまだだね.]と言われた,とお母さんは言っていた。

 

 

今年、カフェ・オープンのお知らせハガキに

かって一番波長のあった男子がパソコンを習いに来ていると、書き添えた。

それでカフェより先にこばとのパソコン教室に来たようだ。

パソコンは他所ですでに習ったらしいのに。

 

最後にあった時から13年以上もたっているのに、その時を一瞬でワープして

当時のままの雰囲気で私の目の前に出現した。

 

小規模ながらさりげない直角歩き、

手首や指関節のカクカク動き、

顔の向きや目の動かし。

 

かわらないなぁ。

 

御両親も、彼もあの当時のまま・・の雰囲気。

 

お母さんに言わせればいろいろあったそうで、

今は家から遠いながらも、理解のある職場に通えている。

朝5時に起きてバス(田舎なので本数が極端に少ない)に乗って出勤するそうだ。

 

「休んでもいいし、止めてもいいよ!」と両親は言うそうだが、

彼は「行く!!」と言って出かけるそうだ。

 

変わらぬ(?)彼に会えてよかった。

変わって欲しい気もするが・・・・

 

なんだか、また平成元年に戻ったような気分。

 

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梅満開