サブタイトルは
<あなたを蝕む愛着障害>
<身体と心を冒す悲劇の正体>
<現代人は、なぜ幸福になれないのか>
私は仕事柄、結構、読んできている。
近年の著作は愛着障害に関するものが多い。
そのものずばりの「愛着障害」はベストセラーになっている。
昭和の時代や平成のはじめの頃は
自閉症といえば特別な存在だった。
自閉症スペクトラム、発達障がいという言葉がメジャーになるにつれて、
周りとうまくやれない、生きずらいと感じる人も
実は、発達障がいがあるんではないか?
みたいになって来ているけれど
岡田尊司氏は医学的、遺伝的に明確な発達障がいとは別に
幼児期の成育環境によっても、脳に認知の歪みを起こしてしまい
発達障がいに類似した行動パターンや生き辛さを発現させるという。
それが愛着障害だという。
確かに自閉症育てで育てでまず悩むのは、愛着を示してくれないことである。
読んでも振り向かない。
後追いしない。
甘えてこない。
親がいなくても平気、探さない。
親だって人間。
懐いてくれればこそ愛おしさも湧いてくるというもの。
自閉症スペクトラムは何故か、
オキシトシンというホルモンが不足しているそうだ。
オキシトシンは愛情ホルモン・幸せホルモンとも言われている。
こばとの療育に来ていたお母さんから
自閉症の子どもも<かわいい>とは言って来たけど、
本当に心から可愛いと思えるようになったのは
幼児期を過ぎて、子どもの側からの本当の愛着が
感じられるようになってからだ、という話はよく聞いた。
それまでも母親に懐いて、母親を必要としているように見えたけど
それは自分を世話してくれる人、であって真の愛着とは言い難かったと。
なので、発達障がいの子どもが真の愛着を示してくれるようになると
可愛さもひとしお。
幼児の療育が次第に増えていた頃、
多動、自閉性は少なかったが、発語がまだでない
表情の乏しい幼稚園年少の男児が通って来た。
素直な性格で、提示する課題には離席もせず取り組んだ。
絵とことばのマッチングカードをやるうちに言葉も出るようになった。
母親は男児の成長が心底うれしそうで、
素直なので、なおさらかわいい!ようだった。
お母さんに喜んでもらえると、私も嬉しい。
男児には幼稚園年長の姉がいた。
お母さんは姉より男児の方が可愛い、と私には憚ることなく言っていた。
たぶん、それが日常の生活の中でも見え隠れしていたのだろう。
一年ほどたった時、つまり年長の姉が卒園に近づいた頃
お母さんが深刻な顔で
「こばとを止めます。」と言って来た。
「止めないわけにはいかないんです。」
よろこんで通っていたのに・・・・
「どうしたんですか?」と私が聞くと、
「娘が幼稚園で、『わたしのじんせいくらい 』って書いたんです。」
と言って折りたたんだ紙をみせてくれた。
「えーーっ・・・。幼稚園児が!!!
わたしのじんせいくらい ?
聞いた私は驚いてしまった。
幼稚園年長の女の子がそんなこと言うんだ!
なんと、おませなことを・・・・・
姉は母親が弟のほうを可愛がっていることを感じて
ずっと嫉妬していたのかもしれない。
兄弟間の差別? 愛情の不公平?
幼児期のそんな体験が、愛着障害の種になるのだろうか?
しかし、療育中の経験から言うと
姉となる女子の方が嫉妬深いかもしれない。
他にも同様の事があった。
姉・弟の二人きょうだいで、弟がこばとに通って来ていた。
男児は自閉ではなくLD系で、不器用でシャイだった。
こばとの送迎はいつも母親していた。
男児は普通学級入学し、一年の担任は男性教師だった。
クラスメイト男子は君付けか、呼び捨てだったのに
息子の男児のみ<さん>付けだと母親は笑っていた。
母親の大事さが伝わっていたのかも。
母親は姉より男児の方が可愛い、と私にははっきり言っていた。
姉が4年生になった頃、嫉妬が激しくなってきた。
両親は困った。
父親の休みの日に合わせて、こばとに通うことになった。
こばとの日、母親ば姉に付きあって出かけることにした。
姉には母親、男児には父親ということで
姉の不満は乗り越え、男児も父親と付き合うことでよい効果があった。
親が良かれと思ってしたこと、無意識にやっていたことも
愛着障害の種になるのかもしれない。
虐待などは確実に脳に損傷を与えるそうだけど、
幼児期に愛されなかった、
家庭内に不協和音が常にあった、ということも
認知の歪みを作って愛着障害になるのだろう。
人間の育ちというのは本当に複雑なものだ。
かくいう私も愛着障害かな?
しかし、今の自分は誰のせいでもなく自分せいだ。
自分で選択して来たんだから・・・。
この年になって何を言ってんだか?????。