自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

前コロナ後

 コロナ禍は彼を変容させたか?

 

 

 小学6年から月2~3回パソコン教室に通っている中3男子、

知的には能力の高いADHDタイプ。

 

彼は幼児期から小学校入学までこばとの療育に通っていた。

私が65過ぎて、半端ない体力・気力を必要とする療育から撤退しようと

1教室だけにし、子供数を漸減していた時に彼もこばとを終わりにした。

彼は舌小体が短く、早口で発音が不明瞭なところがあった。

近場にある東京歯科大学で切ってもらうよう、お母さんには勧めていた。

 

1年生に入学し、しばらくすると友達から発音を指摘されるようになった。

子どもというものは結構、厳しく正直?、残酷?でもあるのだ。

彼は舌小帯が短いために、彼はラ行音がきれいに出ないので、

「ろく」が「どく」になったり、「どうろ」が「どうど」になってなってしまう。

 

お母さんがいじめを心配して相談してきた。

私はかねて言っていたように、早めに東京歯科大学に行って切ってもらうよう言った。

しかし、彼は極端、大げさとも言えるほどの怖がり屋。

 

一応、歯科大に行き、切るという話にはなったが、

彼は<切る>と聞いただけで激しい拒否反応を示したので

とても無理、と病院側は判断し言語訓練で何とかしよう、ということになった。

 

歯科の言語訓練士さんに指導してもらうことになり、数回通ったのだが

ADHDの彼はおふざけしたり、集中しなかったりで、

訓練時間は短縮され、ついに中止と言われてしまった。

 

病院の言語訓練士さんは素直に指示に従う子どもを対象とし、

わざとおちゃらけADHD児向きの訓練はしてくれないのだ。

 

このままでは友達にからかわれることを不安に思ったお母さんが

歯科大病院での訓練中止のいきさつを相談してきたので

こばとで言語訓練をすることにした。

 

 

過去に、舌小帯が短くて発音が不明瞭な子どもの中には、<切る>ことを恐れず

速やかに発音が改善した子もいたが、彼には無理だった。

 

 私はこばとを開設する前に、小学校の言葉の教室を経験していたので

療育中に言語訓練もやっていた。

舌小帯と関係なく構音障害のある子も多かったし。

 

療育時間中に他児と場所を別にして言語訓練をした。

別料金は取らなかった。

 

 

ADHDの彼を集中させるべく、ちょっとした食べものを使った。

舌の挙上練習のために、味付き海苔、とかジャム。

彼はそれにつられて訓練は順調に進んだ。

 

半年ほどでラ行音は定着したので、言語訓練は終了にした。

 

学力的には普通級で十分やって行けるレベルだったので

私は小学校は大丈夫だろうと思っていた。  

高学年になる頃は中学の進学塾にも通っていた。

 

しかし、5年の後半友達とのトラブルからいじめにあい、

恐怖心の強い彼は学校に行けなくなった。

 

6年になっても行けなかった。

 

お母さんは復帰の希望を捨てず、フリースクールに通わせることにした。

そこは学校の出席日数に代わりになるだけのようで、

友だちとの関わりや行事的なことは何もやっていないところだった。

 

それもあり、お母さんが相談したいこともあり、ということで

こばとのパソコン教室に通わせることになった。

 

お母さんもついて来た。

 

相談というより、何もしてくれない学校

見当違いの進路を勧める行政の相談窓口・・・

 

お母さんが怒りにまかせてゲーム機を破壊したほど、

 家でゲーム三昧になっている息子と熾烈なバトル。

 

 

諸々に対する不満や怒りを私にぶつけた。

私に言われても・・・ということもあった。

お母さん自身が鬱になっているのではないか、と思うほどだった。

 

中学進学の時も悩みは大きかった。

 

小学校の同級生が通う地元の中学校には足が向かなかった。

しかたなくと、というか同じフリースクールに通った。

対人恐怖、不信は彼の精神にがっちり、根強く食い込んでいるようだった。

 

無理して精神がズタズタになるよりフリースクールがいいよ、と私は言った。

 

地元の中学校に行く時はハリネズミのように

神経を尖らし、すり減らす様だが、

フリースクールでは友達も出来ない代わりに

自分ペースで学習を進められて呼吸は楽そうだった。

 

地元の中学校には週一回図書室に通った。友だちに会わない時間に。

中間、期末のテストは受け、好成績で上位の順位だった。

 

 

 

パソコン教室は気に入っているようで、タイピングは1級の速さ。

でもパソコン教室に来る時は、外敵から身を守る、お守りのように、

赤い水筒を首からぶらさげてやって来た。

中学生としてはかっこ悪いんじゃない?と言ってみたが改まらなかった。

 

それが中学2年になった頃、赤い水筒は手提げかばんにしまわれた。

私と相方スタッフは赤い水筒に気付かない振りをした。

 

彼の姿がドアの外に消えた後、何かが変わったね、と話した。

予約の電話も自分でかけて来るようになった。

 

3年になってすぐ、新型コロナ感染拡大になり、

お家勉強になったが、友達と会うことのない彼にとっては

変わらぬ日々だったよう。

 

自粛解除後も何事もなかったように

フリースクールに通い、パソコン教室に通ってきている。

喋ることが増えたような気がする。

私だけがしつこく進路を探しているか、資料や情報は集めているか聞いている。

言葉少なに彼は答える。

 

彼はこのコロナ禍で何を感じたろう?

不登校でいることを引け目に感じることなどいらない。

小学校時代に級友に会わないように気を使うこともない。

むしろ今は人と会わないように、面と向かって喋らないほうがいいのだ。

仕事だってテレワークが推奨される。

 

むしろ、

自分の生き方が肯定される時代になって来ている、

と感じているだろうか?

 

いろんなものに怯えていたような中学生時代から少し抜け出して、

母親依存からも抜け出して

自分の進みたい道を自分で見つけつつあるような

 

私のしつこい問いかけに答える、彼の言葉少ない返事に期待しすぎだろうか?

 

 

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あくび・あ~よく寝た!