自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

お葬式 その1

お別れの形もいろいろ

 

平成元年から始めた、長い療育期間の間には、

子どもや保護者との不条理な別れも経験した。

お葬式には5回参列した。

全部、違う形のお葬式だった。

 

 

子どもとの別れは悲しみ以上になんで???? だった。

 

幼稚園の年中さんの途中からこばとに通通い始めた女児との別れは

あまりにも突然で信じられなかった。

 

難聴があったが、ADHD傾向の少女雑誌に出てくるような女児。

ランドセルもすでに用意し、

小学校入学を楽しみに待っていた春のことだった。

 

 風邪気味なので療育をお休みしたいと、お母さんから電話で連絡があった。

お休み分は振り替えるから早く良くなってね、と返事した。

 

 

 

 こばとの7周年記念文集にお母さんの寄稿文がある。

女児が満5歳、もうすぐ6歳という時の文。

 

お母さんの寄稿文

  「無我夢中もの五年間」

 

生まれてから今まで時の立つのが早かったような長かったような、

やっとここまで来たか,という感じです。

1才2カ月で歩き始めてから、多動で落ち着きがなく、

2才過ぎても、3歳過ぎても、言葉は喃語ばかりで、

ずっと心配してきました。

3才8か月の頃、滲出性中耳炎を患っていることが分かり、

薬で治療していましたが治らないので、

4才10か月、千葉県ことも病院で、鼓膜にチューブを入れてもらいました。

その後、耳が良く聞こえるようになったからか、少し筒言葉が増えてきました。

ただ、「耳が悪かっただけではこんなに言葉は遅くならない。」と言われました。

何が原因なのかわからなかったので,

さまざまな相談、療育施設へ通いました。

 

実に、8か所以上の施設を渡り歩いたようようだった。

 

いろいろ通って、最近やっと女児に適した

こばとにたどり着いたという感じ、と書いてあった。

 

弟も一人いるが、女児を授かったことを神様に感謝して、

1歩づつ進んでいきたいとむすんであった。

一家はクリスチャンだった。

 

7周年記念文集を出した翌年の4月、

女児は地域の小学校普通級へに入学が決まっていた。

 

 

風邪気味なのでで休みたい、の電話連絡を受けてから

3日後、お父さんから電話をもらった。

 

娘が亡くなった。

 

とてもとても信じられなかった。

あまりにも茫然自失状態・・・・なんで?なんで?

原因や理由を聞いて、教えてもらったのかもしれないが

記憶に残っていなかった。

 

女児の葬儀にはスタッフ全員で参加した。

プロテスタントのお家だったので、

式場全体が花に囲まれ、式のながれは讃美歌と牧師さんのお話で進められた。

 

ご両親とも会ったが、涙だけで言葉がでなかった。

 

涙もあったがフレンドリーな感じで

花に囲まれて眠る女児にも別れを告げることが出来て

心に残るお葬式だった。

 

 

 

突然の別れは保護者ともあった。

 

7月末から中学生、幼児、小学校低学年の3回の夏合宿をすませ、

その年最後の夏合宿、

小学生高学年を千葉県の海近くの青少年の家に

2泊3日の夏合宿に連れて行っていた時のことだった。

 

合宿の宿舎に

知的障がいの幼稚園年長児の男児のお父さんから電話があった。

幼児グループの男児の合宿は既に終わっている。

 

男児の母親が亡くなった、という電話だった。

 

 

私は、驚きで失った声をなんとか絞り出して、理由を聞いた。

 

くも膜下出血だった。

即死に近かった、と言った。

 

すぐにも飛んで帰りたかったが、とにかく引率して来ている子ども達を

無事に合宿から連れ帰らなければならない。

 

 

解散駅の千葉駅で子ども達を保護者に引き渡すと

すぐにこばとにとって返した。

 

幸いな事に男児の家はこばとから

道路ひとつ隔てた反対側の区画にあった。

 

お父さんだけがいた。

お葬式は終わっていた。

 

男手一つでは2人の幼児(男児と弟)は育てられないからと

すでに関西の実家の祖父母が連れて行った後だった。

お父さんも実家に近くに転職すると、言っていた

 

長男は自閉性はなかったが、知的障がいがあった。

男児は年中の時、他県から父親の転勤で千葉に越して来た。

住所がこばとと目と鼻の先だったこともあり、

転居後、すぐこばとの療育に通い始めた。

 

 

その年の夏までに1年近く通い、

お母さんは長男のIQが上がったと喜んでいたのに・・・・

 

 

くも膜下出血の恐ろしさを肌で感じた出来事だった。

 

 

余談になるが、

私は60才になる前に、仕事中に猛烈な頭痛に襲われた。

首から上を取ってしまいたいほどの激痛だった。

 

くも膜下で亡くなったお母さんの出来事が念頭にあったので、

とりあえず、タクシーを拾って(結構の距離だった)

千葉脳神経外科に駆けつけ,MRIを取ってもらった。

くも膜下出血の兆候はないか聞いた。

 

結果は何でもなかった。

 

しかし、

 

それから現在の73になるまで、毎年MRIを取っている。

自費で高いが、くも膜下出血でぽっくり行っては

子ども達がいい迷惑だと思うので・・・・

 

いつも、医師に聞くことはただ一つ、くも膜下出血の兆候はないか?

 

トラウマになっているようだ。

 

だが、去年今年と脳梗塞の黒い影がハッキリでた。

医師に言語野だから滑舌に影響が出るだろうと言われた。

影響が出ている感じはまだないが・・・

MRIの他に認知症の検査も加えられた。

 

 

 

話が横道にそれてしまった。

 

親の死は辛いが、障がい児のいる家庭ではなおさらだ。

残された片親は子どもの将来を思う時、心配の種は尽きないだろう。

 

 

父親の死に直面しても気丈なお母さんもいた。

 

 

前記事に載せた重度自閉症男児のお父さんも

男児が小学3年の時に、胃癌で亡くなってしまった。

 

 

 

 

 

葬儀の事を書こうとおもうが、 

話が長くなるので次回に回そう。

 

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いじけ寝

 

 <HPサイトの方からこばと教材をダウンロードで購入できるようにしました。>