先日、近くまで来たからと、
ひょっこりこばとの事務室に顔を出した親子がいた。
5年ぶり。うれしいサプライズ。
「わぁ~大きくなったねェ~。でも雰囲気変わってないね。
あの頃をそのまま大きくした感じだねぇ。
お母さんも全然変わってないじゃないですか!!!。」
「先生も変わらず、お元気そうで。」
「とんでもない!すっかり老け込んで、もう、高齢者の仲間入り!」
とひとしきり、見た目の感想を言いあった。
息子は支援高校高等部の一年生。
彼はだしぬけに私の誕生日を聞いてきたが、私は答えなかった。
「今、誕生日を聞くのがブームになっていて・・・。」とお母さんが言った。
私は取り合わず、学校で作業班は何に入っているか、運動は何をやっているか、部活は何やっているかなど、彼に質問した。
彼は私の質問を聞いていなかった。
お母さんが答えたことを、彼はオウム返しで言った。
すると、彼はこばとに通って来ていた頃を思い出したらしかった。
夏合宿で行った場所や,活動、泊まった部屋や食堂のことを思い出して
私に確認を迫った。夏合宿は何度も行っていた。
一泊の合宿と二泊の合宿をまぜこぜに聞いてくるので、私も思い出すのが大変だった。
でも、少なくとも夏合宿は良い思い出として、彼の記憶に塩漬けされていたようだ。
私の中に塩漬けされている彼の記憶は幼児期の一場面。
かなり鮮明。
彼は幼稚園の年中さんからこばとの療育を受けに来た。
自閉症ではあったが言葉も出ていた。
イントネーションや声のトーンに不自然さはあったが。学習能力はあった。
多動でもあったが、体に芯が入っていないようでグネグネして、
絶えず体のどこかが動いている状態だった。
運動は大の苦手、体の部位の動きがばらばらで、統合された動作にならなかった。
幼児教室の時のカリキュラムの一つ、体育になると彼は顔が引きつった。
室内用の鉄棒で前回りの練習もやっていたが、彼は順番が来ると大声で喚き、涙目。
鉄棒恐怖を克服することなく、次のステージ、幼児学習教室に移行した。
幼児学習教室では鉄棒でなく、自転車と縄跳び。
こっちは鉄棒ほどの恐怖を感じなかったようだ。
毎回、療育の度に取り入れているので自転車・縄跳びは様になりつつあった。
小学校に入学する前、
ボール投げ、鉄棒がどの位出来るようになっているか、確認したくて、彼の前に
あの室内鉄棒を持ち出した。
彼の顔つきは一瞬でわかりやすいほどひきつった。
幼児学習教室に移行してから、言葉も学習も伸びて、文さえ書けるようになって来ていたのに、鉄棒恐怖は相変わらずだった。
スタッフ二人がかりで介助して、涙目でわめく彼に<前回り>と<逆上がり>を二回ずつ練習させた。
次の週、私は彼にまた鉄棒を練習させるため、学習している教室に顔をだした。
すると、彼はさっと振り向き
「おばあちゃん!」と言い、その後で「帰りなさい!」と言った。
「おばあちゃんはないでしょ!!」私が怒り声で言うと、
彼はすかさず「じじぃ!」と言い返してきた。
自閉症でもこんな言い返し、反抗が出来るんだ、と内心驚いた。
私はそれ以上取り合わず、学習後に前回同様、室内鉄棒を出した。
彼はあきらめもあったのか、前回より騒がなかった。
体をのけぞらせることなく素直に介助されて練習を終えた。
次の週はあきらめがさらに進んだのか、
名前を呼ばれるとさっと出てきて鉄棒をにぎった。
スタッフ二人の介助で前回りと逆上がりの練習をした。
次の週は呼ばれるのと待っていたように、鉄棒の前に出てきた。
顔には笑みがあった。
5週目、屋外の自転車練習場所に外用の鉄棒を出して置いた。
彼は自転車の練習のために外に出てきた。
鉄棒を見つけると、なんと!嬉しそうに駆け寄って自分から鉄棒をにぎった。
療育者にとってあきらめない! 根気!忍耐の手本のようだった。
彼は5年生まで療育に通った。
私にとって彼の記憶はこの時の記憶が鮮明過ぎて、後は記憶に残る物なし。
「今、運動はなにしてるの?」と聞くと、お母さんが答えて言うには
お父さんと市民マラソンに出たりしている、とのこと。
体がグネグネだったが、あんなに苦労して自転車にも乗れるようにしたのに、
今は殆ど乗らせてない、という。
「マラソンだけでなく、サイクリングも余暇活動として楽しんでください。」と
お母さんにはっぱをかけた。
自発的にはチャレンジしないおっとりタイプのお母さんだから。