自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

きっと見つかる。

先日、一駅先の千葉駅近くの病院に朝いちでいつもの薬を貰いに行った。

 

駅に戻って改札へ向かう途中、細身の青年とすれ違った。

1,2m離れた後に私は振り返って

「あれっ、U君じゃない!!!」

 細身の青年はさっと振り返り、

「あっ、先生!お久しぶりです。」笑顔で早い反応!

「元気?これからどこ行くの?今、何やってんの?]私の矢継ぎ早の質問。

「就労移行支援で就活がんばってます。」

「それどこにあるの?」

「あそこのビルです。」通路の窓から見える高層のビルを指差した。

「就労支援で何の仕事?あっ、いけない!こんなところで長話をしていたら

 遅刻してしまうね。今度会った時ゆっくり話そう。」

「僕もっと、先生と話をしていたいです。」

「また会おうね、早く行って!」

 

彼は私とハイタッチをしたそうにしていたので、私も小さくハイタッチ。

彼が立ち止まるといけないので、私はバイバイして足早に改札に向かった。

 

ちょうど2,3日前、彼のケータイに、とショートメールを送っていた。

 

「元気?、今何してるの?」

「お久しぶりです。元気ですよ。就労移行支援に通って就職活動中です。」の返事。

「時間がある時こばとに顔だしてね。」

「はい」

 

返信が早くなった。内容は相変わらずだが。

名前を呼ばれて振り向く反応も速くなった。大人になってきたね。

 

久しぶりに会った彼は、今年3月、都内の某有名私立大学を卒後。

 

年賀状では就活中一言。その後音沙汰なしなので、私の方が気懸りでたまらず、メールしてしまったというわけだ。

 彼は、松田龍平をもっと丸顔で童顔にしたような顔だった。

少し痩せてあごの線がシャープになっていた。

 

彼がこばとの療育を受けに来た時は3歳。

言葉なく、おむつも取れず、目も合わなかった。

初回面接の時、お母さんは暗い表情で「こだわり行動が出始めました。」と言った。

 

彼に簡単なこばと独自の検査をすると、視覚認知は良く、手元に目線が持続した。

着席も出来た。自閉傾向と言われたそうだがこれは伸びるかもしれないと思った。

 

最初の見立て通り彼は順調に伸びていった。

アスぺタイプであった。記憶力は抜群で、虫の図鑑に凝ったこともあった。

何より、無垢で無防備で愛されキャラだった。

 

小学校は普通級に入った.真面目だし勉強もそこそこ出来たので、あまり問題なく過ごしていたが、6年の時「自閉症!」とADHDの男子に言われたと落ち込んだ。

 

自閉症?,だからなんだって言うんだ、と言い返しな!」と私は言った。

悩んでいると言うし、引きずっても困る。

そこで、私が度々連絡を取り合っていた小児神経・精神科の先生を紹介した。

彼は医師と存分に話をして、吹っ切れたようだった。

 

中学も普通に進んだ。愛されキャラなので大きなトラブルもなかった。

が、一度泣いて帰って来たことがあったそうな。

 

 それはグループ数人で職場体験という授業のあった日、体験の帰りに友だち皆から

ずうずうしいと責められ、何故そう言われるのか分からず泣いてしまったという。

 

 お母さんは冷静な人だったので、彼から話をじっくり聞き出し、何がすうずうしいことにあたるのか説明してやったそう。

 

ずうずうしいの顛末。

職場体験が終わった後、職場の方が話し合いの時お茶菓子を出してくれた。

グループの友人達は遠慮して手を出さなかったのに、彼一人がパクパク食べてしまった、ということだった。友人達は職場の人にずうずうしく思われないか気にした。

 

その話をお母さんから聞いた時、その場面が目に浮かぶようだった。

 

高校は私立校。

はじめはは浮いた存在だったが、初めてのテストの時、社会は学年一番だった。

それから皆の見る目が変わって、仲間にも入れるようになったとのこと。

愛されキャラでよかった。

 

大学は推薦で都内の某有名私立に入った。専攻は東洋史

しかるべき支援が受けられるように、大学にも彼のことははっきり説明したとお母さんは言っていた。

 

東洋史を生かせるような学芸員の職でもあれば・・・・と私は願っていた。

しかし、現実は甘くなかった。

フォローなしに一般の職場に入ることは、やはり厳しいだろうとは思っていた。

 

メールをした後、偶然にも彼に出会えてよかった。

 

就労移行支援に通う彼の表情は明るかったし、焦ってもいなかった。

 

きっと彼に合う職場が見つかるだろう。

彼は運のいい、他人に恵まれる人間だから。

 

 

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