発達障がい児の子育て

~発達障がい児の育て方に悩んでいる方へ~

言葉

 最近のニュースを聞いて・・・。

言葉の力ってすごいですね。人を生かしもすれば、殺しもする。

 

 この言葉、発語があるか、ないかは自閉の症状のある子達にとって、能力や理解力の大きな判断基準にされてしまいす。

 言葉を発しないからと言って言葉を理解していない、ということではないですよね。

でも、言葉を発しない、言葉が少ない自閉っ子たちは誤解されてしまいがちなんです。

 

 言葉を発しないから何を考えているのか分からないとか、こっちが言ってることは分からないだろう、と思われがち。

 

 療育をしていた時、重度の自閉症で発語は要求語を少々という男子のお母さんがこんなことを話してくれました。

 その子は育てに手はかかるものの、両親はとてもかわいがって育てていました。

彼が5年生の時、夫婦で自閉症のことを明るく喋っていたら、そばで遊んでいた息子がタイミングよく「悪かったね!」と口をはさんできたのでびっくりした、と言っていました。今まで言ったこともない言葉を言うなんて。

 

 その子は自閉症についての話の内容をよく理解していて、なおかつ自分が自閉症だと分かっていたんですね。

 自閉症児の療育していた時、こういう例によく出会いました。

自閉症の子ども達は自分が自閉症であることが分かっていて、なおかつ自分で自分をコントロールすることが出来ない困り感の中にいるいるんです。

 

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脳は不思議

前回は催眠のことを書いたけど、ちょっとその続き。

自閉症の療育、育ちに関わった人はしばしば経験したことがあると思いますが、

彼らが9歳10歳の頃、退行してるのではと不安を感じさせられることがありますよね。

 

 幼いころに見たり遊んだ物をまたやり始めたり、幼児期の話をするので、えっどうしたの?。と周りの人はちょっとびっくりします。

 

 療育していた頃その記憶力にびっくりする経験をよくしました。

その中の一人の男子。幼児期は自閉症状が強い子でしたが、高機能で確かに記憶力抜群、歴史の年表などばっちりでした。

 

彼が5年生の時、自分の小さい頃を覚えているかと聞いたら、1歳の時ディズニーランドに行ったことがある、と言いました。[楽しかったでしょ?」と聞くと「嫌だった、早く帰りたかった。」という返事でした。

 後でお母さんに話すと、確かに1歳の誕生日の時、おばあさんと一緒にディズニーランドに連れて行った。けれど帰ったその晩、熱を出したと言っていました。

 彼の記憶では具合が悪くて早く帰りたかったんでしょうね。

 

 彼に限らず9歳、10歳つまり少年から青年に変わっていく頃、脳の中でも組み換えが行われるのか、幼児期のことを思い出して話す子が多いですね、特に男子。

 脳は不思議。脳は全てを記憶してるんだなぁ、と思います。

しかし、この時期を過ぎると幼児期の事はあまり言わなくなります。くだんの男子は某有名私立大学を卒業して今は社会人です。

 

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催眠

 春の三寒四温を実感させてくれる今日の天気、さみぃ~から急にあったか~ぃ。

散歩大っ嫌いのシェリーをおやつで釣って外に連れだしました。肥満解消帳消し。

でも外に出てしまえばあきらめは早くすぐ探索モード。

 思えば子ども達を療育していた頃、あきらめ、気持ちの切り替えが大課題でした。

彼らには理由のあるサインだったであろうパニック、奇声、自傷、他害、フラッシュバック。さっとあきらめて気持ちを切り替えられない問題行動には、対応に悩みました。

 それで催眠など使えないだろうか、と催眠療法をやっている先生について習い、スタッフ相手に練習を重ねた時もありました。

 スタッフの中で霊感が強く、すぐ催眠状態に入れた女性は退行催眠に入った時、中間生記憶まで戻ることができました。彼女のそこでの存在は光に輝く状態で、この世に生まれる目的は、「やさしさを知るため」だと言いました。人は皆何かしらの使命をもってこの世に生まれるんだ、と思いましたね。

 催眠は子ども達には使えないな、と実践はしませんでした。でも、ソーシャルスキルの時間などに目を閉じさせ、いろいろ話を聞かせると、後で思い出したことを話してくれる子どももいましたよ。2、3歳の時や1歳の時の光景など。

 子ども達を療育して何よりも効果があり、確実に身につくのは学習だと思いました。習得した結果ではなく、学ぶという姿勢、過程に真の学習があるんだな、とつくづく思います。

 今時期、就職が決まったという報告がぽろぽろあり、嬉しい限りです。

 

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パターン

 さみぃ、さみぃねぇ。雪は降ってないけど・・・。

冬だからこれが当たり前なんだけど。暖冬に慣れ過ぎてしまったかな。

シェリーは散歩抜きで食っちゃ寝、食っちゃ寝、ぎっくり腰をやった後はそれが常態化し、今日、病院に行ったところ、体重は危険水域を超えたと宣告されてしまった.。

 4.7キロだったのが6キロ超え!!!

 子ども達が大勢療育に通って来ていた頃は、いけないことはいけない、やるべきことは最後までやる、という姿勢を貫いてきたのに、こと、飼い犬となると

 おやつは一つだけよ、言いつつこれでおしまいだよ、ともう一個与えてしまうパターンにはまってしまった。

 療育に通って来ていた子ども達のお母さん方には子供ペース、自閉パターンにならないようにと、よく言っていたくせに。

 子どもたちのお母さんは苦労したろうな。なにせ自閉っ子たちの要求はしつこく、激しいことが多いから。子どもが「いたいの、いたいの」と言ったらお母さんが「とんでけー」と言うまでずーっとまとわりつく。

 子どもが「バーモントカレー」と言ったら、お母さんが「甘口」と言うまで何回でも言い続ける・・・etc.例には事欠きません。

おやつは上げてしまった方が、パターン語は言ってやったほうがストレスにならず楽なんですが、続けていると危険水域をこえてしまうんですよねぇ。

 ここが我慢のしどころ、無視するのではなく違うことを言ったり、違うことやらせたりしてこと本人の気をそらし、忘れせるのが一番。犬も同じ。

 シェリーのしつけも原点に戻ってやり直さなくちゃ。

 

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直感

 千葉で久々に積もった4センチの雪のはあっけなく消えてしまいました。

大雪だなんて笑わせるね。

 平成元年にこばとを始めた頃は、数センチどころではない大雪が、毎年のように当たり前に降っていた。こばとの手前にある歩道橋の階段は、段が見えないほどこんもりと雪に埋もれることもしばしば。

 子ども達が来る前にスタッフ総出で雪掻きをしたこともよくありました。そういえば大雪は5~6年前からはほとんど降らなくなりましたねぇ。

 雨が降っても、雪が降っても子どもが大勢こばとに通って来ていたあの頃、中度・軽度の発達障がいの子ども達は個別の学習をした後、中学年・高学年各クラス12名ずつに分けて、ソーシャルスキルレーニングというものをやっていたっけ。

 中学年・高学年別々に子ども達のレベルに合わせた手作りのプログラム内容で、子ども達も楽しみにしていて、結構楽しかった。

 私は高学年のクラスで時々ちょっと哲学的な質問をして、子ども達に考えさせるのが好きでした。

 ある日のスキルの時間に私は「生きるってどういうこと?」と問いかけました。

 子ども達の眼差しは真剣だけどなかなか言葉が出てきません。難しかったかな、と思っていると、一人の軽度だけど自閉傾向強めの子が「動く」と応えました。

 私は補足する気さえ起きないほど的を得た答えに、「そうだね。ぴったりだね」と言いました。

 その頃私は、福岡伸一氏の『動的平衡』という本を読んでいて、命とは?生きるとは?ということを考えさせられていたからです。

彼らの方が多すぎる情報に惑わされず、本質を直感出来るのかも。

 

 

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こだわり

 平成最後の雪が降りましたね。

 短毛のため超寒がりやのシェリーはガラス越しの空気の冷たさに恐れをなして、そそくさとハウスの毛布の中にもぐり込み、隙間から鼻の孔だけ出していました。

 それで冬眠でもしてくれればいいのですが、朝ご飯の用意が出来ると、呼ばなくて出てくるんです。まったくもう。

 あっという間に食べ終わり、水は?と声を掛けようとした時には、抜け殻のような毛布の空洞にもう潜り込んでいる。本当に自己中心・自己に正直。

 いやいや、今日はそんなことを書こうとしたんじゃなくて、こだわりのことでした。こだわりはなにも自閉症の専売特許ではなくて、人間だれしもある「なくて七癖」ですね。私は自閉っぽさは誰にでもあるものとおもっていますが、困るか困らないかの違いは場所の空気を読んで我慢できるか、他人まで自分のこだわりに巻き込んでしまわないかですね。

 こばとのパソコン教室に通ってきている30代社会人男性、今も小さい時のこだわりを引きずっていますが、大人になって、一人ひそかに楽しむようになっています。

 今、彼は交差点にある、視覚障がい者用の青に変わった時のピヨピヨという音やボール(様々な色形の物)をスマホにため込んで時々こだわりを楽しんでいます。

しかし昔の「時間こだわり」の時は困りました。

 中学生の時、30人程筑波山に夏合宿に連れていって、当時はまだあったユースホステルに泊った時のことです。グループごとに決められて時間にお風呂に入ることになっていたのですが、彼はお風呂は夜8時だと言って入ろうとせず,時計を見ながら部屋の前をうろうろ。待ってられないのでグループは先に入浴しました。

 8時ジャストに彼は風呂場に来ました。このこだわりは全体の活動に影響がなかったので許せましたが。

 

 私のこだわり、なんだろな。

 

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今なら出来る

 先日パソコン教室に来た、支援学校中等部3年の男子、自分で自分のスケジュール表を作れるほどパソコンを自分のものにしつつあります。

 障がいとしては重度の彼、就学前こばとに来た頃は、寝転んで泣いたり、指をしゃぶったりわざと目をつぶって模倣などしようとしなかった。

 その彼がダンスをして見せてくれたんです。

 いつもパソコン終了後子ども達には5分間フリータイムを与えてパソコンを自由に(YouTubeを見たり好きなサイトを見たり)に使わせています。彼らの今の好みを知りたくて。

 彼はその日「おかあさんといっしょ」の動画を見て、画面の幼児と同じダンスを笑顔で踊って見せてくれたのです。幼児の時はやろうとしなかった、できなかったけど今なら完ぺき、とばかりに。

 彼のダンスで思い出したことがあります。昔、ご両親の希望で普通級に入学した中度の自閉症の男の子がいました。

でもそこは彼にとって安心の場ではなく、不安いっぱいで担任のそばを離れようとしなかったので、2年の時支援級のクラスに移りました。

 そこでは落ち着いて、友達とも関われようになり精神面も成長。4年の終わりの時、彼は次は普通級の2年に行きたいと言い出しました。

 かって不安に過ごした普通級も今なら自信を持ってやれる、やり直したいと思ったのでしょう。お母さんからその話を聞いた時、胸が詰まる思いでした。今なら出来る、という思いをかなえてあげたいけど遅すぎたね。

 ゆっくりだけど自閉の子は彼らの時間の中で成長してるんです。

 

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共通点

 現在、高齢者についてマスコミで報道される内容は、随分と多岐にわたってきましたねぇ。

 加齢による病気をどう予防するとか、筋力を維持する食べ物・栄養素はどうだとか、ぴんぴんころりのための運動やストレッチはどうするのがいいとか。

 それに高齢者のほぼ全員がおびえる認知症の予防に効果のある食べ物や脳トレの話。カラスの鳴かぬ日はあってもか認知症の話を聞かない日はないくらい。私も認知症に関するテレビ番組には思わず、目・耳が釘付けです。

 自閉症の療育に携わっている人や、関わってきた人はお思い当たる節があると思いますが、自閉症児者と認知症の人の間にはなんか、共通点を感じますよね。

 昔、療育に通っているお母さんからこんな話を聞きました。

彼女の子どもは重度の自閉症。しかし障がい児と認めたくなかったお祖母さんは孫に対して冷淡だったというのです。

 それがお祖母さん自身が認知症を患ってから、孫と祖母の関係はがらりと変わってしまった、というのです。二人が寄り添って仲良くソファに座っている光景を見たお母さんはびっくりしたと言いました。

 自閉症の孫と認知症のお祖母さんの波長が合うようになって、似た者同士!と共感しあうようになったのかも。

 今、認知症の方への接し方があれこれ指南されていますが、それってこばとが平成元年から療育で実行してきたことじゃないか、思うことがあります。人間の根源的な付き合い方ともいえるような。

 私も迷子になったと3人の認知症のお年寄りとかかわった経験があります。ひとりはお身内を探し、あとの二人は交番にお願いしましたが。自閉症の子も、認知症のお年寄りも、迷子になっても困った顔をしないんですよね。

 

 

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プラスマイナスゼロ

 とうとう平成最後の1月が終わってしまった。

こばとは平成元年にスタートしたので、平成の終わりのカウントダウンが始まるとちょっと感傷的になってしまいますねぇ。

 最盛期にはスタッフ8人を抱え、ひと夏に5回も子どもをグループ分けして合宿をやっていました。筑波山奥多摩、高尾山、三峯山、千葉県のほぼすべての少年の家やユースホステルに、公共の乗り物を使ってぞろぞろ連れて行った。よく実施できたものだ、と今更ながら思い出します。

 それに毎月2回~3回日曜日ごとに社会トレーニングと称して中学生のグループを10数人ずつに分けて、あちこちの社会施設、余暇活動施設に連れ歩いたりもしました。休みなんて殆どなかった。若かったからやれたことかも。

 子ども達と出かけるのは楽しくもあったけど、無事に連れ帰るという責任があったから神経使いっぱなし。よく無事にここまでやって来れた。

 いや、あわやこばと解散か、という事故もありました。登山中、子どもが15メートルの崖から転落、石段の横の斜面の柔らかい土に着地。すぐに災害救助ヘリで病院に搬送してもらいました。検査結果はかすり傷のみ。その日の病院夕食を完食。翌日退院。

 見えない力がプラスマイナスゼロにしてくれて療育の仕事の継続を後押ししたんだ、と思いました。

すごーくラッキーなことがなくてもいい。プラスマイナスゼロの平穏な日常が続いていくことに感謝しなくちゃ。世界、世間は不穏・暗雲が漂っているから。

 

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楽呼吸

 小学6年から月2~3回パソコン教室に通っている中1男子、タイピングは2級レベルの早打ち。

 彼はこばとを縮小する前、幼児期から小1まで療育に通っていました。学習能力の高いADHDタイプ。だけど極端な怖がり屋。

 舌小体が短く早口で、発音が不明瞭なので歯科大で切ってもらう相談をしたけど「切る」と聞いただけでとてもとても。

 言語訓練で何とかなるかも、と歯科の言語訓練士さんに指導してもらうことになったのですが、おふざけしたり、集中しなかったりで中止に。

 1年生になると友達からも指摘されるので、こばとで訓練することにしました。彼はラ行音がきれいに出ず、「ろく」が「どく」になったり、「どうろ」が「どうど」になってなってしまうのです。

 彼の性格を考慮して訓練は上出来で終了、小学生活はうまくいくかに見えたのですが、5年生後半で友達関係がうまくいかなくなりました。

 いじめを受けてすっかり対人恐怖になり不登校に。お母さんの悩みも大きいものがありましたが、無理して精神がズタズタになるよりフリースクールがいいよ、と私は言いました。

 今の彼は自分ペースで学習し、中間・期末テストは地元の中学校で受け二桁の順位をキープ。友達の空気を読むことに神経をすり減らしている時より楽に呼吸している感じ。こばとのパソコン教室はえらく気に入ってるとか。

 

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ボディランゲージ

 現在ただ一人療育している年長の男の子、こばとに来た当初は目は空を泳ぎ、声掛けしても意識飛ばしをするので読み取れるのは逃げのサインのみ。

 反応がないから虚しい、なんて言っていたら療育にはなりません。

 そういう時期を通り越して、今は呼べば着席して学習に向かう姿勢をとるようになりました。すごい成長!

 でも苦手な課題、難しそうな課題の時は途端に目がかゆくなったり、鼻をほじくりたくなったり、あくびが出たりするのです。かって療育していた多くの子に同様の仕草が見られましたが。分かり易いっちゃ分かり易いサイン、ボディランゲージではあります。

 彼は結構プライドが高いんです。出来ない自分を見せたくない、何とかごまかしたいというところなのです。いつまでも鼻ほじほじをやっている時は、彼の得意な課題、簡単な課題、プリントをさっと出してやります。鼻ほじはすぐに止まります。

 こういうボディランゲージはかわいいもんですが、中には理解不能なものもありました。昔、夏合宿をやっていた頃、小学高学年を40人ほど連れて、2泊三日の合宿に行った時のことです。

 合宿では恒例のプログラム、キャンプファイアもありました。火の神は私、火の子4人は6年生の中から選ぶのが習わしになっていました。その年も昼のミーティングの時自閉症状は重めだけど毎年合宿に参加してきた男子を選出。

しかし、男子は選出された途端に大声を出してパニック状態に。別室で気を落ち着かせたものの、火の子は松明を持つのでこの不安定状態はまずい、ということになり別の男子を代わりに選びました。

 ところがです、日暮れ前に火の子の衣装合わせと、リハーサルの招集をかけた時、なんとその男子もすっきりした顔で集まってきたのです。なんだ、本当は火の子をやりたかったんだ、ただ選ばれた瞬間動揺し、緊張のあまりパニックになったんだ、と判明。

「ごめんね。別の子選んじゃったの。」と彼に謝り、待機グループに戻ってもらいました。それにしても、、もっと分かり易いサイン、ボディランゲージをやってくれたら良かったのに。

 

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先入感

 平成元年にこばとが発達障がい児の療育のを始めた頃、障がい児の教育といえば身辺自立・生活単元・作業が主流で、時間割のマスに教科学習が割り当てられることはあまりなかったように思います。

 言葉もないし、多動だし、指示に従えないし、何かにつけて介助が必要だし、着席を持続させることもままならないのに勉強だなんて・・・。

 そんな時代にでしたが、学習こそ脳のお薬と信じて手作り教材で,指導を始めました。子どもって障がいがあっても学んで出来るようになることがうれしいし、勉強は嫌いじゃないんだ、とこっちが内心驚いたくらいです。

 言葉がないから、人に関心がなさそうだから、何もできないのではないか、なにも感じていないのではないか、と思うのは周りの思い込み、先入観、偏見のような気がします。たしかに手はかかるし、根気、忍耐は必要ですが。

 昔、年子で二人とも重めの自閉症状があり、一緒にいても互いに関心を見せることもない兄妹いました。

 夏合宿の時、本当は別々のグループでしたが、二人一緒に連れて行った方がお母さんも楽だろうと、同じ一泊二日の合宿に連れて行った時のことです。探検と称して森の散策に出かけた時の事、妹が列を離れて違う方向に走り出すとスタッフより早く兄が妹を連れ戻しに行ったのです。これには驚き感動しました。お互い関心なさそうでいて兄妹と認識していたのですね。関心がないと思っていたのは周りの先入観だった。

 勉強も出来ないんじゃないかと思わずに、やらせてみることですね。

こばとの手作り教材、今は市販していて107条図書にもなっています。31年度文科省から3800冊超の注文がありました。子ども達が勉強しているのがうれしい!

 

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長い道のり

 今日は支援学級中3の美少女がパソコン教室にきました。

背は高くモデルにしたいね、と中1頃から言っていたほど。

 言葉は・・ん~あまりでないけど,ツンとすまして斜め上を見ればスタイル抜群なので、モデルになれるかもと期待を抱かせる女の子です。

 3歳の頃からこばとに通っていたけど、始めの頃の大変さは並大抵ではなかった。いつも頭を悩ませていたお母さんは、頭痛薬の飲みすぎで肝機能の数値が悪化し入院したほど。

 でも、あきらめず、投げ出さず子どもの可能性、成長を信じてこばとの療育にも6年生まで通い続けてくれました。視覚記憶は良く、中学になってからはパソコンもローマ字打ちでワードをやっています。

 小学校時代は合宿にも欠かさず参加し、自転車・縄跳びもマスター。今では家族でスキーを楽しみ、ピアノの発表会ではロングドレスで参加。話しかけられて答える、ということ以外はいろいろな社会生活の楽しみ事を満喫しているよう。

 でも、ここまでの道のりは決して楽なものではなかった。まるでクイーンのウィアーチャンピョンです。

 お母さんも彼女が自分の人生を豊かにしてくれている、と言っています。

 

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 散歩は大嫌いです。

 

 

笑み返し

 現在、ただ一人療育を引き受けている年長の男の子、こばとに初めてご両親と一緒に面接に来た時は、表情もなく常に逃げの態勢でした。

 こばとに行くように勧めたのはこばとの存在を知っていたおばあちゃん。

人と目を合わせることもせず、水遊びに執着している子を見ても両親はこの子の性格、個性だろうと思い込もうとしていましたが、おばあちゃんは、「なんか違う。」と。

新規募集をやめているのは知っていたけど、こばとに行くようにと両親の背中をおしたのです。おばあちゃんは私と同年齢。古くからの知り合いです。

 療育を始めてからは、彼の眼をのぞき込んでは笑いかけ、ダメなどの否定の言葉は一切なし。自閉っ子って,無表情で人に無関心そうだけど、見捨てられ不安に敏感で、いつも不安にさらされている感がつよいんです。笑顔笑顔で認知を伸ばす学習や、運動・遊び・工作etc.を根気よく続け現在に。

 言葉は出たり、消えたり、学習も進んだかと思うと停滞したり。でも年長さんにでもなってからは安定して成長中。人との関わりがよくなり、指示に従って行動でき、何よりうれしいのは名前をよべば反応早く振り向いてくれ、微笑みを返してくれること。

お父さんが帰ってくると嬉しそうにでむかえるとか。

微笑みかけた時、笑みを返してくれるって、人間社会ではとっても大事ですよね。

 

 はい!チーズ☆

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 これ、笑顔だそうです。



 

姉弟

 土曜日は学校が休みなので、遠方の支援学校中学3年の男子がパソコン教室に来ました。彼は姉弟の双子。

 姉の方は健常児でしたが彼は重度の自閉で、幼児期こばと治療教育センターに来た時は言葉もなく、オムツで寝転んで泣くばかりの状態。ご両親は共働きでした。

 こばとには何組か双子の障がい児、一人だけだったり、二人ともだったり、あるいは兄弟でという家庭もありました。

 障がい児の子育ての苦労・ストレスは並大抵のものでないことはよくわかっていたので、お母さんに「頑張って。」とは言いませんでした。頑張ってないわけはないので。

 その代わりこばとが子どもさんのできる事を見つけ伸ばして、お母さんに喜んでもらい、希望を、明るい気持ちを持ってもらうことでした。子どもはお母さんの気持ちをすぐ察知しますから。

 子どもが伸びてくると、お父さんも協力的になり成長に関わっていこうという姿勢がでてくるのを多く見てきました。

 前述の男子、伸びはゆっくり、言葉も少なめですが記憶力抜群、中学校から始めたパソコンはローマ字打ちで結構の速さ、ワードの編集も一度覚えるとその後はサクサク。家でも自分のスケジュール表を作っているとのこと。支援学校では作業も速く見込みも抜群とのこと。

 しかし、ここまでくる道のりは並大抵ではなかったはず。幼児期は祖父母さんの助けもあったけど就学後は児童ディサービスを何か所か使い、スケジュール管理も一仕事だったよう。姉の方にも気をくばらなければならなかったし。

 でも、ご両親は何とか彼を成長させようと一生けん命でした。幼児の時、こばとに来る日でもない日曜日に彼にパンパンのリュックを背負わせて歩かせているので、「何やってるの?」と聞いたらこばとの合宿の練習だというのです。

 とにかく幼児期は子育てが大変、公的・私的サービス・つながりを利用して乗り越えるしか。現在はそれが可能な時代ですから。私も40年前、4歳・2歳・0歳の双子の4人のの子育てをしていたっけなぁ。

 

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シェリーです♡