自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

何もしない時間

 【感覚遊び】以外にのんびり、リラックスできる時間を過ごせるようになればどんなに楽だろう、本人も周りの人間にとっても。

 

<のんびり>これがむずかしいんですよねぇ。

 

 パターンが変わるとパニックを起こす。

 脅迫神経症のように儀式行動をしないと気が済まない。

 先が見通せないと不安定になる。こだわりやしつこさが復活する。

 スケジュール通りサクサク進行が必須、イレギュラーは禁。

 

 周りの者もパニックされるのが嫌でパターンを変えない。

 きっちり予定を入れて、視覚化し本人に納得させる。

 構造化した生活の中ですごさせる方が安心だ。

 

 しかしこれでは平和かもしれないが、<自閉症>という枠をはめて症状を強化しているようなものだ、と思ってしまう。

 

 何もしないでのんびりする方が楽!と思いがちだが、パターンにはまらない<のんびり>を楽しむのは自閉症の彼らのとっての決められた作業をするより苦痛だ。

 

 療育を始めた頃、のんびりする事も大事だよ、と教えたくて試したことがありました。10数人の自閉症の中学生をでつれて海の近くにある国民宿舎で夏合宿をした時のことです。

 

 合宿のプログラムにあえて何もしないで、”部屋でのんびりする、海を眺めたり、自分の好きなことをする”、という時間を設定しました。

 

 案の定、自分のすきなことをして良い、のんびり海を眺めても良い、特にすることがない、ということに不安を感じた男子がいました。

 不安になった彼は部屋を行ったり来たりした挙句、部屋の中に備え付けてあった飲み物用の小さな冷蔵庫を持ち上げて、筋トレを始めたのです。

 

 その後の小学生・中学生の夏合宿から、自由時間を感覚遊びではない、自分のすきな事をして過ごせるよう趣味の物をリュックに入れて持ってこさせるようにしました。

好きな本(料理本オレンジページを持ってきた子もいました。) 、トランプ、電車の本、時刻表を書き込んだノート・・・・etc.

 

 夏合宿は人との関わり合い・自由時間の過ごし方を教えるチャンスでもありました。

 

 

自閉症の世界



感覚遊び

  自閉症の世界を読んでくださってありがとうございます。

 

 これまで自閉症児の大声出しや奇声・パニックなど騒々しいことばかり、つい多く書いてき過ぎたかもしれません。

 

 彼らにも存在を忘れさせるような、静かな時間があります。それは【感覚遊び】をやっている時です。

 

 そんな時は呼んでも振り向きもせず、没頭、忘我の境地・

 

 蛇口から流れる水に手を浸す、

 砂をつかんで目線の上からパラパラ撒き続ける。

 砂がなければ細かくちぎった紙を紙吹雪のようにばら撒き続ける。

 換気扇などくるくる回るなど物を飽きずに眺めている。

 換気扇がない時はおもちゃの自動車のタイヤを目線の横に置いて、

 つまり床などに寝転んでくるくる回し続ける。

 パラパラ漫画のように本を頬の横でめくり続ける。それが実に器用でうまい。

 紐をふる。紐が同じ軌跡を描くような巧みな手の動かし方 。

 目の前で手を広げてひらひら動かす。

 ロッキングなど自分で同じ動きを繰り返す常同行動。

 

周りの者は「何がそんなにおもしろいの?」と言いたくなります。

 

しかし、これらの行動はまるで瞑想のマントラのように、彼らの気持ちを落ち着かせ、心地よくさせてくれものなのかもしれません。

 

 気持ちよさそうにしているからそっとしておいてあげよう、好きなだけやらせておこうと、つい思いたくなります。

 

 でも、私の療育経験からいうと、本人は心地よいかもしれないけど、好きなだけやらせてしまうと瞑想の世界?自分の世界に入り込んでしまい、こっちの世界への反応が弱くなってしまう感じです。

 

 静かに一人で時間を過ごしてくれて助かる、と黙認したくなります。

 

 しかし、こっちの世界・日常の生活を意識させるためにも【感覚遊び】に入り込まないようにしてやるべきかなぁ、というのが持論です。

 

 

自閉症の世界



 

 

過敏すぎる聴覚

  前回、痛覚が鈍感な自閉症児のことを書きましたが、逆に過敏すぎる聴覚が彼らを生き辛いものにしていることも多いですね。

 

 通常、脳は聞きたい言葉、音を取捨選択して聞き取ることが出来ていますが、

音に過敏な自閉症の場合、ボリュウム調節不可のままいろんな音が混じって、ワァーと

押し寄せる状態なのかも。耳ふさぎをしたいくらいに。

 

 また、ある音域の音が耐え難く神経に触るという状態もあるようです。

 

 掃除機や洗濯機、ミキサーなどの家電製品のモーターの回る音が耐えられない。

子どもが家にいる時は掃除・洗濯が出来ないという家もありました。

百貨店などの大型施設のトイレにハンドドライヤーが設置されてから、それらの場所のトイレに入れなくなった子も結構いました。

 

 モーター音以上の叫び声のほうが周囲の者にとって耐え難く思うけど、彼らにとって違うんでしょうね。

 

 工事中の機械音がダメな子もいました。

 

 特定のショッピングセンターに子どもが入れないと嘆くお母さんもいました。よくよく観察して、店内に流れるBGMが原因らしいと突き止めたそう。その音楽の中に混じっている何かの音が耐えがたかったのかもしれません。

 

 不快音に敏感になっている子どもは、周りの者が「えっ、どこどこ?」というほど聞き取れないも音もキャッチしてしまうので対策に悩みますね。

 

 近年、イヤーマフが売り出されてそれを使用する子も多くなりました。

 

でも人間は慣れる生き物でもあります。

 

 療育していた頃は、社会トレーニングと称して大音響耐え難いボーリング場やカラオケにもよく彼らを連れて行きました。

始めは耳をふさいでいても回を重ねるうち、自分から楽しめるようになり青年期の余暇活動になりました。

 

  音を避けて通らず、それらの場所に連れて行って良かったなと思っています。

 

自閉症の世界



鈍感痛覚

 自閉症の子ども達を療育していると、彼らの過敏と鈍感の表現には対応に苦慮することもありますねぇ。

 額や後頭での頭突き、顎叩き、手首咬み、太ももつねり・・・etc。
自傷の表現はさまざまです。
 自傷を目の前にすると 梅干を目の前にすると唾が出るように、誰しも痛みを想像し感じて「痛いからやめようね。」と言ってしまいます。

 ところが彼らは止めようとすると、あてつけるようにかえって強く自傷したりすることもあるんです。
 
 小学生低学年の夏合宿の時もありました。
 
 活動のためユースホステルの玄関前の芝生のある所に集合した時、何か気に入らないことでもあったのか、地面に額を打ち付けるという自傷を始めた重度の自閉症児がいました。
 ところが芝生の上では痛みの刺激が少なかったのか、わざわざ硬い舗装した場所まで走って行き、そこに額を打ち付けるという行動に出ました。

 激しい痛みが逆に神経伝達物質のエンドルフィンを放出して、快感になっていたりするのかしら?と想像してしまいます。

 稚児人形のようにかわいい重度の自閉症の男子はよく口内炎をだす子でしたが、普通ならひどく痛い口内炎もちょっとした違和感程度にしか感じないのか、口内炎を指の爪でほじくっていました。痛そう・・・やめて・・・見ている方が痛みを感じちゃう。

 怪我をして血がでても泣かなかったり、治りかけの傷のかさぶたをはがして、また血だらけにしてしまうなど、見ている側が眉間に皺を寄せてしまいます。

 痛覚が鈍感な自閉症児の場合、「痛いからやめようね。」の説得や懇願では自傷をやめてはくれません。やらないように手で押さえても放した途端やることもあります。

 自傷を止めるには、気持ちを落ち着かせ、さりげなくその行為から気をそらさせて別の事に注意を向けさせる。
 自傷で訴えることは有効なアピールにはならない、ということを子どもにわからせていく。
 
 療育者側の信念、気持ちの一貫性、安定感も必用かもしれませんね。

 

 

自閉症の世界

昇格

 いよいよ新年度のスタートですね。まだ令和ではありませんが。

 

 卒園式そして入学式をこなすということは、自閉症児とって、特に重度の子にとって、うれしいどころか試練の二文字につきますね。

 イレギュラー続きの日課、先を見通せない毎日を不安を抱えてがんばって・・・辛いだけ。

 

 消えたと思っていたこだわりが復活したり、ずっと小さい頃の持ち物に執着したり。睡眠のリズムも崩れたり、おもらしや頻尿になったりしたかも。

 

 子供以上に親も不安です。

 

こばとの療育をやっていた時はいつもお母さんに言っていたものです。

「小学校に上がった方が子どもは安定しますよ。時間割があるから。」

  

 自閉症の子どもの中には卒園・入学というこの環境の変化を拒否したい、と抵抗を試みる子もいますね。

 

年中の時から療育に通って来ていた発語のない重度の自閉症の男の子。

まじめな性格で年長さんの時は言葉もわずかながら出るようになり、学習にも取り組み良好。

 

 小学校入学を期待した両親は早々とランドセルを買い与えました。

しかし、入学1か月前になっても頑としてランドセルを背負おうとしない。「どうしたらいいんでしょう。」と困り切ってお母さんが相談してきました。

 

「練習しますから療育に来る時、持ってきてください。」と私。

次の療育の時、早速、お母さんはランドセルを隠し持ってきました。

 

 私はお母さんにお迎えの時は、出口から50mぐらい離れた所で待っているように念を押して、2時間の療育コースを終了。

 

子どもにはランドセルを背負わせて帰しました。お母さんはびっくりした表情で息子が近づいて来るのを見つめていました。私は得意顔で手を振りました。

 

先生の指示は聞く、というパターンが功を奏しました。

 

現在の彼は、パラリンピックトライアスロンを目指す偉丈夫な支援学校の高校生です。

 

 

自閉症の世界

まねしないで!

  自閉症児の療育過程で、ジレンマに陥って頭を抱えたくなるようなことも、再三起きると前に書きましね。
 「自分勝手にやらないで、指示を聞いてからやりなさい。」とさんざん言っておきながら、子どもが出来るようになると「指示待ちでなく、自分で判断しなさい。」」真逆の要求。
 自閉症児にとっては???になりそうな切りかえパターン。指導者もどう理解させるか悩むところです。
 
 指示待ちだけでなく【模倣】でもこのジレンマに陥ります。
 視線を合わせない、呼んでも振り向かない、模倣もしない。そんな自閉の初期症状から根気の甲斐あって模倣するところまでこぎつけた。療育者にとっては一山を越えたことに手応えを感じて嬉しくなる成長です。

 ところがです、今度はなんでも【模倣】というジレンマに陥ります。

私もありました。
 自閉の症状は重いながらも、人との関わりがよくなり、人のことをよく見て模倣もするようになった小学低学年の男子。
 発語は出てきたもののまだまだ。こばとの療育ではひらがなカードを使って、一音ずつの発声練習をする段階でした。
 その日も私の方がつい夢中になって、ひらがなカードをめくる度、くちで指を湿らせながらやっていました。

 ふと気が付くと、彼も発声の度に指を口元にやっているではありませんか。
「指はまねしないで!!そこは模倣しなくていい!」きつい口調になってしまいした。

 私が指を口で湿らせなければいいだけなのですが、指先が乾いてスムーズにカードがめくれなかったのです。
 
 模倣されすぎがストレスになった例もありまねぇ。
 
 妹の事を意識するようになった自閉症の姉が、妹のやることなすことを模倣する。
食事時のはしの上げ下ろしまで妹のやり方を見て模倣することに、お母さんのほうがいら立ちを募らせ、まいってしまったと相談してきた例もありました。

 

自閉症の世界



刷り込み

自閉症の世界,本当かな?と思われる方もいるかもしれませんね。

療育している時に全部あったことばかりです。

 ところでローレンツの【刷り込み】についての話は有名なので、知っている人も多いかと思います。
 療育中、自閉症の子ども達にも【刷り込み】は起きるんだ、と思わされる事例をいくつも経験しました。
 
ある中度の自閉症の男の子の【刷り込み】はボールでした。
 
 彼は幼稚園の年長の時からこばとの療育に通ってきていました。発語は少ないながらありましたが自閉傾向は強め。年子の弟の下にもう一人の弟がいました。
 そのころ彼は幼稚園の集団の遊びにも参加できるようになっていましが、ボール遊びだけはダメでした。
 
 ボールとみるとすぐ横取りに行って 遊びとは関係ない方に蹴り飛ばしたり、抱えて逃げたりして、遊びになりません。友達も他の遊びには入れてくれてもボール遊びの仲間に入れるのは嫌がりました。
 
 その傾向は小学校に上がってからも続きました。
そしてボールの【刷り込み】がはっきりしたのはボーリングの時でした。

こばとは療育の一環として年一回、親子ボウリング大会とやっていたのですが、彼も小学2年の時参加しました。

 ご両親も一緒。ボウリング場は貸し切りでしたがご両親の顔には楽しみより、警戒感がありました。
 なぜなら息子があの重いボーリングのボールをレーンに向かって投げるのではなく、客席に放り投げるのではないか、と恐れていたからです。

 後でよくよくお母さんに話を聞きました。
 お母さんは年子で次男を妊娠した時、体がしんどかったので彼にかまう気持ちの余裕がなかった。
 一人遊びをしてもらいたかった。それで彼にボールを持たせて、一人で遊ぶように遠ざけていた時期があった。そうお母さんが話してくれました。
 
 彼にとって、ボールは彼とお母さんを引き離す憎い存在として刷り込まれたのかもしれませんね。
 お母さんが構ってくれるようになっても、ボールは憎い、嫌なヤツのまま記憶の底に沈んで、ボールを目の敵にしていたのでしょう。
 
 彼はボールでは楽しみを見出しませんでしたが、ご両親と山登りを楽しむ青年に成長しました。
 
 ボールとは逆パターンですが、どこで刷り込まれたのか掃除機などに異常なほど偏愛執着を見せた自閉症児もいましたね。

自閉症の世界

 

 おススメです♪

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お仕事中

 30年以上も自閉症児に付き合って、困った行動対策もずいぶんやりました。

 そのなかで派手な行動ではないがお母さん方が”悩みの種”と、多く相談してきたのが、子どもの同じ言葉の繰り返し。

 

CMのセリフだったり、ワンパターンの自閉語だったり。

 

 始めは子どもの期待する言葉を返してやるが,同じことを何度も言ってくるので、最後はいらいらして、「しつこい」とか「うるさい」とかつい言ってしまう。

 お母さんも、悪いこと言ったと、落ち込んでしまう。

ノイローゼになりそう、というお母さんさえいました。

 

自閉っ子はテレビのコマーシャルなどはよく覚えます。

 テレビのCMはよく覚えるのに覚えさせようとする言葉はちっとも覚えてくれない。

あるお母さんは自分がテレビから顔を出して話しかけたいくらいだ、と笑うに笑えないことを真剣に言っていました。

 

 確かにCMは決まった映像と決まったセリフ、視覚と聴覚に同じパターンで繰り返しでるので自閉症には覚えやすいのかもしれません。

 でも日常場面ではそうもいきません。刻々と変化しますから。

 

 なにしろ、彼らはボキャブラリーが少ない、聞いて、オウム返しして覚える。自分で考えて言葉を作り出すのがむずかしい。

 

 療育の学習指導中もありましたねぇ。

教室で私が連絡帳を読んだリ、その返事を書いたりしていと、席を立って私の側に来て、「お仕事中」という自閉症男子がいました。

 

きっと学校でも先生に言われているんだろうな、と思いました。

 

彼はきっと話しかけたくて仕方がなかったんだろう。「先生、何書いてるの?」とか「誰の連絡帳書いてるの?」とか。 

 

でも、話しかけたくても他のセリフが思い付かなかった。

 

「同じこと何回も言わないで!」とか「あっち行って!」とかわ言わずに、彼らの話かけたい気持ちを大事にしたい。

 

 返事がなくとも、【ワンパターン話しかけ】と世間話をしたいものです。

 

自閉症の世界



[こだわり壊し】のおまけ

 前回書いた、超【こだわり】も二日目からは軟化して、私と離れてグループで活動をこなし無事合宿終了。

 帰りは特急なので、子ども達は元気、スタッフは疲れ顔スッピンで解散駅に到着。

いつもの合宿同様、30数名の子どもと付き添いのスタッフ&ボランティア15名は改札口を出たところでグループごとに整列、保護者に「ただいまぁ~」と元気よく挨拶して解散となりました。

 その後こばとのスタッフ8名はこばとの教室に戻り、合宿道具の後かたずけやら、活動記録の整理、記録の発送、準備などで2時間くらいで大忙しでした。

 

 そうこうしている時一人の保護者から電話がありました。

 

 子どもが家に帰って来るとすぐ、大声で泣き騒ぎ、寝転んで足をばたばたさせるのでびっくりした。「合宿中何事か嫌なことでもあったんでしょうか?」

 

 よくよく話を聞き、どのくらい泣いていたかを尋ねると、1時間くらいでぱったり泣き止み、その後はいつもと変わらない、と言いました。

 

 寝転び泣きの様子をよく聞くと、ぴったり重なる姿が思い浮かびました。

 【思い込み】を切り替えられずに泣きわめき続けたあの男子の姿です。

 

 彼のパニックに他の子の活動が影響されないよう、私は彼と集団から離れたところで行動していたのですが。

 電話の男子はパニックなど気にせず淡々と活動を楽しんでいいるかに見えたんですが、本当に興味があったのは活動ではなく、寝転んで泣きわめく男の子の姿だったんですね。

 

「どうしたの?」と聞いてくることもなく、こっそり様子を見ていたよう、興味津々で。

 

「お母さんわかりました。それはグループの男の君がパニックを起こした時の姿ですよ。お母さんにこんな子がいたよ、と説明したかったのでしょう。

 でも言葉で説明出来なかったたので、行動で見せたのだと思います。」とおかあさんに説明しました。お母さんは納得ようでした。

 

 合宿中彼の一番興味関心を引いたのは、活動のプログラムではなく、パニックした男子だったのかぁ。

グループの中にいてこっそり横目で【こだわり男子】を見ている様子が目に浮かびました。泣いている子に興味を持つ自閉症児は結構いるのです。

 

自閉症の世界



思い込み

 自閉症療育では行動のパターンを教え込んで、やがてそのパターン壊しをしなければならないジレンマについて書きましたが、さらなる成長のためには必要な事。

 

 しかし、そのパターンは時に子どもの頑固な【思い込み】にまで凝り固まってちょっとやそっとでは壊せない 。 

 壊そうとすると激しバトルを引き起こすことはしばしばあります。

 

 ちょっとパターンを変えようとしただけなのに、

のどちんこ丸出しであらん限りの大声で叫ぶ、寝転ぶ、泣く、自傷する・・・

 子どもはパターン壊しにはあらん限りの力で抵抗し、大人は忍耐の権化となって無言で戦う(この表現がぴったし)ことになります。

 

 こうなると何を言ってもだめなのです。まわりに聞こえる心配のない時は無視を決め込んで、ひたすらパニックをが鎮まるで待つこともをできますが、人目がある時はそうもいきません。

 虐待と勘違いされて、好奇・非難の視線にさらされてしまう恐れ大。

 

 小学校中学年の2泊3日の夏合宿でも超難度のパターン壊しがありましねぇ。

  

 テレパシーでも取り上げた例の男子、森の中のユースホステルの夏合宿は幼児期から4回も参加しているので、お泊りは気持ちにゆとりがあり慣れたものでした。

 

 その年の夏合宿は活動内容をレベルアップさせるため、ユースホステルの先の駅にある少年自然の家に行くことにしました。小学校3年以上の30数名の集団。

 お母さんも喜び、合宿で利用する乗り物や活動内容をカードに起こし、出発まえからインップットを繰り返しました。切り替えがよくなるよう。

 

 ところが当日、前年までのユースホステル夏合宿で降りていた駅を通過とたん、彼のパニックが大爆発しました。

 

  お母さんの作ったカードのは何の足しにもなりません。

泣き喚きの激しい抵抗が他の子達に不安を与えてはまずいと思い、彼を集団から離はなしてほとんど私と二人で行動しました。

  

 寝転んだり泣いたりの汗だくのパニックはなかなか収まらず、平静を装って活動の指揮をし集団について歩く汗だくの私も疲弊しました。

 

 夜もグループ部屋には入れず、私と二人で引率者用部屋で切れ切れの眠りをとりました。

 

落ち着きを取り戻したのは翌日になってから。

 

 合宿はユースホステルのある駅で降りるはず、という【彼の思い込み】の牙城はとうとう攻略しましたが、しかし長かったぁ。

 

 この合宿には帰った後の続編があるのです。次回をお楽しみに。

 

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じれったいジレンマ

 自閉症の療育では指示やパターンが入りすぎて、逆に「ん~んじれったい!」になってしまうこともあるんですよねぇ。

 

 集団生活に適応させるために、療育する大人はいろいろな約束事・ルールを守らせようとします。

 

 きちんと列に並ぶ。

列に並んだら、前の人の背中に胸を密着させたりせず、"小さい前ならえ”程度の距離を保つこと。

前の人を押したり、先走って追い越したりしない。

進む時は同じ速さで歩く。駆け足する・・・etc.

 

 これら諸々の行動が出来てくると成長を感じ、態度も立派に見えて感激します。

ところが学校恒例の冬季マラソン大会となるとこれらの長所があだになることも。

 

 小学校中学年になった自閉症男子。障がいは重度ながらなかなかの体格で運動神経もあり体育会系。

 最初の頃のマラソン大会では先生に手を引かれたり、伴走してもらっていたのが経験を積むうち介助なしでも走れるようになりました。

 

 体力もあるし足も速い(特に逃げ足の時)きっと良い記録を出すだろうと親の期待大。

 

 スタートを切ると彼は友達の後ろにぴったりついて同じ速度で走っていた。前を走る友達より速く走れるはずなのに・・・。しかも前を走る友達が速度を落とすと、同じように速度を落とし、追い越さないように足踏みまでする始末。

 

期待して応援に行ったお母さんはじれったくてしかたがなかった。

 

 お母さんから、「足は速いのに、どうしても追い越そうとしない、どうすればいいんでしょう。」と悩みを相談されました。

 

ん~ん

「来年は、ご褒美で釣ってみましょうか。一人ぬいたら晩御飯はステーキだよ!!

とか、スタート前にいってみてはどうかな。」

 

 速く走れるのに、前の走者を追い抜かない自閉っ子は何人もいました。

 

このパターンをアウフヘーベンしていく工夫が療育に求められますね。

 

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ジレンマ

 自閉症児を療育していると、療育ジレンマに落ちることもありますね。

 

 幼児期の自閉症児の最初の悩みは指示が通らない、指示に従わないことです。

着席が続かない、声をかけても指示に従わない、周りの者が困るいたずらをやる・・・
多動に振り回されて子どもの後を追いかけてばかり、

 

 親や療育者は何とか指示に従えるように手段を尽くします。

 身辺自立にしても、とにかく指示に従って行動してもらわねば始まりません。

大声で叱ったり、力ずくで抑えたりするとさらに多動や、困ったいたずらを増幅させてしまうのでひたすら平常顔と忍耐で指示をだします。

 

指示が通るようになった時は成長を感じて嬉しさもひとしお。

 

 ところが、もう自分で出来るようになっているんだから指示されなくとも、自分で判断してやって欲しいという時期が来ます。

 なので指示を出さずに見守っていると、じっと指示を待っている。

指示待ちパターンの自閉っ子になってしまうこともあるのです。困ったことに。

 

 小学校の高学年30数名を少年自然の家、2泊3日の夏合宿に連れて行った時も、指示待ちパターンを崩すのが一苦労でした。

 

 登山休憩時、自販機で自分の好きなジュースを買わせたのですが「いいよ。」という指示があるまで、ボタンが押せない!指はまさに押す状態までいっているのに・・・。

 

朝歯磨きをやるところは手順通りで「よしよし」、だったのですが「口をすすいで!おわり!」と声をかけないといつまでも自分で終わりに出来ない。

 

指示待ちパターンを崩すのに、あの手この手を考えました。

 目線で合図を送ったり、ちょっとした仕草でわからせたり。目を合わせないようにして無言で行動を促したり・・・。

 

 指示&指示待ちのジレンマを乗り越えるには、療育する側もパターンに陥らないよう気をつけないと。

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虐待

  前回まで自閉っ子のだすサインを読み取ろう、とか書いてきましたがそんな余裕を持てない時も多々ありますねぇ。

 

 彼らの出すサインは時に半端ないものもあるので、持ち堪えるので精いっぱいの時もあります

 

 泣き叫びのパニック、突然のフラッシュバック、長泣き、頭突きなど、周りの者の神経に触ってサインを読み取るどころではないことも。

 

 それに、前後の様子を知らない、その場面を見ただけの人にはまるで虐待しているのでは、という印象や誤解を与えるこさえあるでしょう。人目や世間体が気になってやつい子どものいいなり、気に入ることをしたくなります。

 

 そういえば療育の場面でもありました。

 

 20数名の就学前幼児を保護者同伴なしで、10名のスタッフが一泊二日の合宿に連れて行った時のことです。

 

 集合後、見送りの保護者と別れ、最寄り駅に向かいました。

一人の年長男児は初めての夏合宿でお母さんと離れられなかったので、お母さんが駅の改札まで同行しました。

 

 しかし改札で別れた途端、泣き叫びが駅の構内に響き渡りました。がお母さんは敢然と背中を見せて離れたので、私ともう一人の療育スタッフが彼の両脇を抱えて電車に乗りました。次の駅で降りて、別の電車に乗り換えるためホームの階段を上り下り。

 

その間も彼は泣き叫びは続き、笑顔で声かけしながら彼の両脇を支えている大人は汗びっしょり。

 

 乗り換えの電車を待つ間彼は寝転んでまだ泣いていました。その時駅員さん駆けつけてきて言いました。「虐待はしないでください!」

 

 でも汗だくで顔は笑っている引率者を見て、事情を察し黙って去っていきました。

その男児は目的の駅に着くころには次第に静まり、自ら集団の一員と化しました。

 

 そして一泊二日の森の中の合宿笑顔でこなしました。夜もぐっすり。アスレチック、森の探検も積極的、帰りの電車のなかでは借り物の猫のように静かでした。

 

 我々の療育を信じて預けてくれたお母さんがえらかったですね。

療育はあきらめない信念と、誤解を恐れない勇気も必要なんです。

 

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テレパシー

 前回、サインを読み解く必要を書いたけど、大昔の人間は目に見えるサインでなくともコミュニケーションできていたんではないだろうか。

 音や形がなくともはるか太古の昔は念波のようなもので、意思の疎通が可能だったのではないだろうか、つまりテレパシーみたいな。

 言葉が発達しすぎて、人間はその能力を手放した・・・?

単なる妄想とは思えない経験があります。

大勢の自閉症児を療育をしていた時、テレパシーというものがあるんだ、と思わされる場面に出くわしました。

小学校の中学年だった男子は自閉の症状が重く言葉は出ませんでした。

ですが運動能力はあり、自転車にも乗れ、縄跳びも出来ました。文字は見て書くことはできましたが、明瞭な発語はなし。

 ある日、彼が療育スタッフと教室で学習している間に、私はお母さんと別室で面談を行いました。

彼には一人の弟がいましたが、お母さんは彼がちっともお兄ちゃんらしい態度にならないと愚痴・悪口を言いました。んーん・・そこは心が成長しないとねぇ。

 面談が終わり、彼を教室まで迎えに行きました。

教室のドアを開けて見た光景にわたしもお母さんも唖然としました。

彼は同じ教室でぐずっている友達の側に近寄り、服の袖を伸ばして、友達のうるうる涙を拭いてあげていたのです。

 お母さんと私は顔を見合わせ、さっきの面談の内容を聞いていた?思わず言葉が漏れました。

 今まで一度もこんなお兄ちゃんらしい態度を見せたことないのに・・・お母さんはつぶやきました。

 人間は太古の昔、テレパシーもコミュニケーション手段として当たり前にあったかもしてない、と信じた場面でした。そして自閉症児にはその名残があるのかも。

 

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