前記事で
人間は皆、自閉症状を持っている、書いた。
読んでいただいた方の中には、
いやぁ、自閉症とは一線を画したい、と思われたか方もいるだろうし
それ、あるあると思われた方もいるだろう。
いずれにしても、症状はまだまだある。
鼻くそを食べる。シャンプー、散髪を嫌がる。
ティッシュ、入浴、床屋のない時代はあるあるだ。
爪が伸びれば、爪切りではなく、爪とぎ、爪噛みしていたことだろう。
自分の臭いを残しておくためにはシャンプーなどとんでもない。
人との距離間が近い、分からない。
言葉のない時代であれば、親密さを表す行動として、毛づくろいや
スリスリするのが仲間となる方法であったろう。
接触こそが仲間意識の始まりだったかもしれないのに、今は厳しく止められる。
現代では言葉が介在すれば許される。恋人同士であれば許される。
こだわり
自分が安心、安全と感じることを続けたい、持っていたい。
おまもり・お呪いは太古の昔からあった人類の習性だろう。
現代人にも脈々と続いている習性だが、自閉症のように他者を巻き込むことはない。
お気に入りの銘柄はコレッ!とか、コーヒーにはこだわりがあるとか、ぐらいで。
空気が読めない
いや、自閉症は空気は読みすぎ、察知が速い。
ただし、その後の行動は周りが期待する行動ではなく、自分の身を守るため、
危険、不快、不安を排除するために全力を使う方に向かう。
しかし、自分のメリットになることには反応が良い。
現代の空気を読むは、他者に同調する、迎合する。
場に合わせるという方向にある。自閉症はこれが苦手。
トラウマになりやすい。
自分が一度でも危険、危機と感じたことはいつまでもしつこく覚えている。
自然界にないモーター音などは特に危険、恐怖と感じやすい。
ハンドドライヤーがありそうな大型店舗のトイレに入れなくなる。
トイレのジャァーと出る水、ウォッシュレットの湯が尻にかかる。
楽しかったことは忘れても、危険、恐怖、嫌悪を感じたものは忘れない。
身の安全のため、生き延びるために欠かせない。
多動
現代文明を知っている者にとって、当たり前のことも、
慣れない場所、初めての行為、初めての人なにもかも
不安・緊張を感じると落ち着かない、動き回らずにはいられない。
現代でも不安があるとそわそわしたり、
その場を行ったり来たり、貧乏ゆすりをしたりする場面はよく目にするが。
ピョンピョン跳び
自閉症のピョンピョン跳び。横っ飛びにリズミカルに見事に跳ぶこともある。
ドラミングのように、胸を叩く子もいる
自閉症の場合、跳ぶ理由がわかりにくかったり、
跳んではまずい場所で跳んだりする。
人間はうれしい時、興奮した時などピョンピョン跳びたくなる。
たまったエネルギーを発散させたい時も跳ぶ。
跳ぶ理由が周りの人にもわかる。
スポーツの試合前などで、自分の頬や体を叩く光景も見るし、
ピョンピョン跳んでいるのを見ることもある。
緊張・興奮・エネルギーの解放の人間共通の行動なのかも。
ただし、自閉症の場合過度という面がある。
他害
(相手はそのつもりでなくとも、あくまでも本人の感じ方で)
敵、攻撃されたと感じたら反撃のアドレナリンが間髪を入れず噴出
噛みつき、つねり、引っ掻き、唾かけ、頭突き、足蹴りあらゆる手段で自己防衛。
唾かけなど相手の顔めがけて命中させる。
言葉のコミニュケ―ションがないので、自閉の彼らは我慢できず
感じたまま、些細な事でも行為に及びがち。
現代社会でもあるあるだが。
追い詰められ、逃げ場が無くなったりすると自分を攻撃してしまう。
檻に入れられた動物のように。
(これも、あくまでも本人の感じ方、周りはそうしているつもりはない。)
ストレスを発散できないと抜毛などで自己刺激する。
現代でも結構ある。
自分が失敗した時、「自分ってバカ!バカ!」と言いながら頭をゴツンと
拳固で叩いてしまうのだって立派な自傷だ。
人前であごは叩かないけど、リストカット・ドラッグ・・・
試し行動
ためし行動、これは自閉症の問題行動のうちでも厄介なものだ。
相手の反応、力関係に探りをいれる。
人に振り向いてもらいたい。気を引きたい。好意を示してもらいたい。
そのために知恵を絞った?行動ではある。
それはいいのだが、試し行動はやってもらっては困るいたずらが多い。
しかし、よい子にしていたのでは、リアクションが引き出せない。
自閉症児としては確実に反応が引き出せる困るいたずらをする。
試し行動は注意されることが多いために、2次障がいとなってしまったり、
対人関係の誤学習になりかねない。
2才児によく見られる行動だし、愛着障がいや境界性人格障害にもみられる。
愛情を試す、なんてことは現代でもあることなのでは?
心の理論
「心の理論」を司るのは前頭前野、人類が最後に発達させた脳の働き。自閉症は
この前頭前野の活動が弱いと言われる。
自閉症は、人類が進化の過程で身に着けてきた脳機能が
現代までたどりつかないで、途中で欠落したり、
断絶してしまった状態といえないだろうか?
そのため、脳の発達がつまずいた場所によって、症状の出方がさまざまになると。
そういう意味では自閉症スペクトラムを発達障がいとネーミングするのは
正鵠を得ているのかもしれない。
それにしても、自閉症に特有だとされる行動は、何も彼らの専売特許ではなく、
人間のすべてに大なり小なりあるのでは?
断っておきますが、
これまで書いてきたことは、科学的根拠、裏付けはまったくありません。
30年以上、約500人の発達障がい児の療育中の観察、私見、考察にすぎないものです。読み流してもらえれば幸い。
とはいうものの、切に思うことは
自閉症の症状を発達の途中で止まっているものと考えれば、
発達をつなげていく手立てはあるのではないか。
脳には可塑性があるし、近年は年をとっても脳細胞は伸びるそうだ。
自閉症の脳が伸びるためには何が必要か?
医療の進歩もあるかもしれないが
彼らの根底を理解した上での教育、学習につきるのではないかな?
そして、彼らの人間的成長を信じることかも。