自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

嗚咽

 

 こばとの療育期間中、通って来てた子どもの多くが重度・中度の自閉症でしたが。

 

その他にはアスペルガー(大学に入った子も何人もいました。)

知的に高いケースと低いケースの違いはありましたがADHD

学習障害

ダウン症

コケイン症候群

ウィリアムズ症候群

ピエールロバン症候群、

レッド症候群、筋ジストロヒー、

水頭症、小頭症、染色体異常、

知的障害、難聴など様々な障害の子がいました。

 

4大卒の専門スタッフ8人と学生ボランティア数名で運営。

 

 学生ボランティアで理学部なのに、自閉症が好きで3年間も続けてくれた男子学生がいましたね、もちろん合宿も参加。

 

 私は今も、筋ジストロヒーの子どものことを思い出します。

彼にとって本当の楽しさ、喜び、幸せとは何だったか?

 

 彼のお母さんは養護学校(今の支援学校)の先生をしていた。

当時の養護学校の実態内容を知っているがゆえに、筋ジストロヒーの息子には養護学校ではなく普通級に入れたいと考えた、父親も。

 

 お母さんの養護学校こばとで療育を受けていた知的遅れのある女子いた。

その子の成長を見て、お母さんは息子が4歳になったら、療育に通わそうと決めていたそうな。

 

 そして4歳になった時、息子を連れてこばとに療育を受けたいときました。

その時すでに症状は進んでいて歩行は車椅子。

発語は鳴くあごが下がっているので涎が呑み込みにくい。

食べる物は小さく刻んだんだ物でない呑み込めない。

はさみを開くことはおろか、えんぴつを持っていることもかなり困難だった。

 

 あきらめない精神のこばとはもちろん療育を引き受けました。

 

 しかし、バリアフリーではない、おんぼろビルの3室を間借りしていたので、室内、階上への移動はおんぶか、だっこ。

合宿も、背負子とだっこで参加。

 

 根気根気の甲斐あって、はさみで切ることができるようになったり、筆圧は弱いながらえんぴつでなぞって書けるようになってきた。発語は出ませんでしたが、「あーあー」と表現し、体で感情や喜びを表現、かわいい子。

 

 そして、学校側もできる限りの改良をしてくれて普通学級に入学。

ところがある日、彼は学校で大便のほうをおもらししてしまいました。

 学校側は小便は何とか対応で知るものの,自分で体を支えていることのできない、彼の大便の処理に困り、勤務中お母さんが学校に呼ばれるという事態も発生。

 

 それからお母さんは朝、必ずうんちが出るように夜の食事を工夫したり、朝は出るまで便器に座らせる策をとりました。

 

 また、言葉の出ない彼が友達とコミュニケーションをとれるよう、写真の日記帳を作って持たせるなど涙ぐましいほど努力。(スマホなんかない時代です)

 

 彼は笑顔が多く友達もよくしてくれました。体育や運動会では車椅子に乗ったまま、体を揺らした、楽しそうに応援していたそうな。

  

楽しく学校生活を送っていると思っていたのが、

 5年生のある夜、彼は布団に潜ったまま、嗚咽を漏らし、さらに号泣するのをおかあさんは聞いてしまった。

 

 そのことを話してくれたお母さんに、

私は、「彼が一番楽しそうにしているのはいつですか?」と聞きました。

 

 お母さんはしばらく口をつぐんだ後、「筋ジストロヒーの仲間たちが集まる会が一番のびのびと楽しそうだ。」と答えました。

 

 彼は中学校は肢体不自由の支援学校に入学した。

その学校では車いすで体育し、発語のない者同士でもいろんな手段を使ってコミュニケーション。

 実に楽しそうで、のびのび生活するようになった。とお母さんは言ってきた。

ほどなく一つ年下の妹も彼と同じ学校に転入した。

 

 妹も彼と同じ筋ジストロヒーで普通学級にか通っていた。

お母さんは卒業を待たず彼女を転校させた。

彼の本物の生き生きした学校生活を見て即決断した。

 

 言葉を発しない兄妹。

無理をしない本当の気持ち出せる場所を見つけてよかった。

 

 布団の中で号泣した彼の気持ちを思うと今もやるせない。

 

 

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