またまた、高齢ドライバーによる死亡事故という痛ましすぎる交通事故が繰り返されましたねッ!!!。
しかもその後、連鎖反応のように40代アルバイト運転手による”信号無視”の横断歩道での少女死亡事故。
少子、超高齢化社会のやりきれない現実。
平成の終わりに胸が痛くなるようなことばかり・・・
このような事件が起きる度に、いつも思うことですが、
あと1分ずれていたら、あと1メートルずれていたら助かったかもしれないのに・・・
どうして偶然が重なってしまうんだろう?
偶然が重なる、重ならないのその分かれ目は何?
いつも見えない力の不思議に思います。
こばとの夏合宿でもありました。
小学校高学年30数名を2泊3日の少年自然の家に連れて行った時のことです、
梅ヶ瀬渓谷歩きと、粟又の滝での水遊びがメインプログラム。粟又の滝は緩く広い傾斜の滝で、滝つぼ以外はプールのように広い浅瀬です。
子ども達は水着に着替え、10人程のスタッフが浅瀬をぐるりと取り囲んで見守る中、水遊びに興じ、泳げる子は泳いだりもしていました。
私は滝つぼの浅瀬全体を見渡せるような位置に立って監視。
楽しむ子ども達とは裏腹に神経を張り詰めて・・・・。
泳げるとは聞いていなかった自閉症の男子が泳げるグループの模倣をして、泳ぐ動作で近づいて行くのが見え、「あっ!」と思う間もなく頭まで水の中に沈むのが見えました。
反射的に、私は近くにいた息子(大学生の彼はボランティアで合宿に参加していたのです。)を呼び、すぐ助けに行くように叫び叫びました。
息子は服のまま水に飛び込み、沈んだ男子を助け出して岸辺に連れてきました。
私の心臓はバクバク、足はがくがく。
泳げないのに泳げる子を真似して溺れかけた男子を叱るより、水に沈む一瞬を見ていたことに、一瞬の<分かれ目>に目が合ったことに感謝しました。
あの時、他所を見ていて、視線を戻した時何事もないような水面だったら、と思うとぞっとします。
<分かれ目>と目が合わなかったら療育を続けることは出来なかったろうし、今の私もいなかったろうと思います。