自閉症の子供たちの行動を、
自閉症というバイアスのかかった眼で見てしまうと
彼らは自分のことは何にも分かっていないんじゃないか、
という先入観を持ってしまいがちだ。
しかし、自閉症の子ども達と長い間付き合うと、彼らには自閉症という<表>と
普通という<裏>があるように私には思える。
<表>と<裏>は同じくらいあるが、
<裏>は彼らの意識の高い時だけほんのちょっと、チラッと見える。
なかなか気づかれにくい。えっ、今の反応普通っぽいよね?程度。
平成元年から26年までの療育期間中、
と思わされる経験を何度かした。
療育が進み発語も出て、だいぶ落ち着いてきた子どもに、
指導内容とは関係なく、何げない風に・・・構えないで
「今、何歳?」、「年、いくつ?」と
聞いてみることがあった。
すると、子どもは考え込むことなく、
「3歳!」とか「5歳!」とか、ぱっと答える。
もちろん、実年齢よりずっと下だ。
スタッフ同士顔を見合わせ、驚きを隠す。
子どもが答えた年齢は、まさにその子の精神年齢にぴったりなのだ。
ある時、自閉症男子の両親が、中学校の進路を支援学級にするか、支援学校にするか相談するために、そろってこばとに来たことがあった。
小学校支援学級を卒業予定の息子は早くも声変わりし、体格も中学生並。
彼は通園施設の年少組の時こばとに療育に来た。
父親の赴任先の東南アジアから帰国したばかりの時だった。
言葉はなく自閉症としては重度。
ドアなどに体当たりするパニックになることもしばしばあった。
彼には二つ年上の姉と生まれたばかりの妹がいた。
そんな困難な状況をものともせず、3人を連れてお母さんはこばとに通った。
明るくいつも笑顔で愛情いっぱい。ものすごいパワーだった。
おとうさんも協力的だった。
家族の一致団結の協力、努力があって、彼は成長した。
支援学級6年になる頃には、すらすらとはいかないまでも言葉も出てきていた。
読み書き、計算の学習も進んだ。
一人歩きも出来るようになっていた。ケータイも持たせていた。
パターンが決まっていれば一人で行動できた。
何より几帳面。手先は器用で、作業能力は抜群。
そんな彼をさらに成長させたいと、小学校卒業を控え、
両親そろって相談に来たのだった。
その話し合いの時、私は指導中に彼に年令を聞いた話をした。
彼はその時、「5歳!」と答えたということを。
それを聞いて、お父さんは「あんなにちゃんと答えられるように教えていたのに、まだわかっていないのか!」と怒りをあらわにした。
するとお母さんが横から口を挟んで言った。
「実は、中学進学に向けて児童相談所で発達検査を受けたんです。その結果は作業能力は高いけど、精神年齢は5歳と言われたんです。」
お父さんは何も言わず、3人の間に沈黙が流れた。
「子供の方が自分を良く知っていますね。」と私が沈黙を破って言った。
彼はその後、中学校は支援学級に進んだ。今はもう大人だが・・・
自閉症の子ども達と付き合っていると、
時々、彼らは自分が自閉症と言いうことを分かっているんじゃないか、と思った。
意識が高い時は普通になって、「えっ?」と思うことをぽろっと喋るし。
分かっちゃいるけど脳が暴走するんだよ。うまく機能してくれなくて。
彼らの声なき声が言っているような気がする。