家族に障害の子どもがいると、
確かにいろいろな面で困難・制約がある。
特に自閉症の子どもの場合、
こだわりを切り替えられない。
偏食で外食が難しい。
外でパニックなど起こされたらどうしよう。
公共の場で騒がれたらもうそれだけで疲れてしまい、来るんじゃなかった、
と思ってしまうことも無理からぬことだ。
公共の乗り物でなく、ついついドア・ツウ・ドアの車で出かける方が楽だし、
安全だ!になってしまう。
自閉症児の公共に場の経験チャンスを減らすと分かっていても。
だからこそこばとは幼児期から夏合宿に連れて行くことにこだわった。
早期に公共の乗り物に慣れさせ、公共の場での行動を身に着けさせたかった。
それができれば、
障がい児が家族の楽しみを制約することなく、
家族も障がい児ために自分達の楽しみを犠牲にすることなく、
家族全員で同じ楽しみを共有することが出来るだろう。
年齢が高くなって自閉の症状が強くなりすぎては、社会・公共のルールに
適応させるのがより困難になることはわかりきったことだ。
長い療育の間、お母さんからの連絡帳を読んで
えらいなぁ、すごいなぁ、と思わされることが多かった。
よく、そんな所まで障がいの子どもを連れて旅行に行けるなぁ、と。
私自身は合宿の下見と合宿以外、プライベートな旅行はしたことがなかった。
恥ずかしながら、海外旅行どころか国内の家族旅行もしたことがなかった。
4人の息子にはすまなかった。
海外旅行に行く療育家族は結構多かった。
毎年のようにハワイに行く家族もあった。
一人娘だがお母さんはハワイでは娘の方が普通っぽく見える。
覚えた英語を平気で使う、と言っていた。
父親の勤務地のエジプトまで行った中度自閉症の男子もいた。
現地では誰よりも(母や兄よりも)現地になじみ、
現地のファミリーに可愛がられた、とか。つまり、物おじしなかった。
お土産にワインを事務室に持って来たっけ。
障がい児がいることが障害にならない家庭の話。
生まれたばかりの赤ん坊(次男)を父親にあずけ、
4歳になったばかりの重度自閉症男児を連れて来たお母さんがいた。
彼はは面談中おとなしくしていたが、
話の途中でお母さんと私は顔を見合わせ、「臭うね?」
お母さんはすぐさま「ちょっと失礼します。」と言って
その場で乳児のように男児を床に寝かせ、紙パンツを取り替えようとした。
私は「お母さん!そんなやり方ではだめですよ!」と言って、
男児を面談室の横にあるトイレの連れて行き、立たせて壁につかまらせた。
そして紙パンツを少し下げたところで、トイレットペーパーを多めとり、
紙パンツの中のこんもりしたウンチの上から包むようにかぶせて包んだ。
足にウンチがつかないようにして、紙パンツを脱がせた。
それから便器に座らせたが、出尽くしていたのでお尻を拭いてやり、
お母さんは男児に新しい紙パンツを穿かせた。
紙パンツのウンチは便器にポイした。
初回の面談でウンチの取り方を指導したのは初めてだった。
男児も面談の雰囲気を感じ取り、きっと緊張して脱糞したのだろう。
お母さんは姉さん女房だったが、お父さんもとても協力的で
療育の送迎も時々、お母さんに変わってやっていた。
赤ん坊だった弟も幼稚園に通い出した頃、
重度兄も療育が進んでくると、言葉も出るようになり場面の適応もよくなった。
家族は仲が良かった。アドバイスもよく受け入れてくれた。
重度兄が小学2年になった時、4人家族はバリ島に行った。
すごいな、よく行けたものだ、と思った。
重度兄はまだ偏食があったので、食べる物があまりなかったそうだが。
家族は重度自閉症児がいるからといって、そのことを自分たちのやれないことの
言い訳にしなかったし、自分達の制約にもしなかった。えらいなぁ。
家族はみんな一緒にお出かけ出来るのがいい。
自閉症児は自分が家族の仲間外れになることに敏感に察知する。
こんなこともあった。
重度自閉症男子がこばとの2泊泊3日の夏合宿に参加することになった。
3回目ともなるとお母さんも安心して夏合宿に出せる気持ちになる。
彼には健常児の弟がいた。
お母さんは自閉症兄がいない合宿の間、父母弟3人で旅行を楽しみたいと計画した。
ホテルも予約もしたので、自閉兄には絶対に合宿に行ってもらいたい。
お母さんは彼の体調管理に気を使った。
その意気込み、自分外しの旅行が自閉兄に感ずかれたのか、
合宿当日、まさに高熱をだし合宿に参加できなくなった。
父母弟の旅行もキャンセルせざるをえなくなってしまったのだ。
家族は一緒がいい。はずされたら悲しい。
重度自閉症児にいろんな経験、いろんなものを見せたい、
とあちこちに出かけている家族もある。
障害児を中心にみんな力を合わせ家族がまとまっている。。
そうなるために、
障がい児がみんなと一緒に出掛けられるように、
幼児期から早期療育をすることの必要性を痛感する。