自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

ボウリング続編

特技はどの子にもある!

 

 自閉症の子どもの中にはよくそんなことが出来るなぁ!!!

というようなことがやれたりする。

たとえ、それが周りの人には褒められたことでなくとも。

 

くるくる円盤みたいな物を回したり、

新体操のリボンのように、紐を見事に螺旋回ししたり、

兩手を組んでぐるっと体の周りを一回転させたり、

見つからないように隠していたものを、迷いものなく探し出したり、

開けられないと思っていた鍵を、知らないうちに開けたり・・・

 

親御さん達は絵とか、音楽とか文明社会で褒められそうな才能を持っている、

自閉症児者を見ると、

「いいわねぇ。才能があって。うちの子は何にもなくて・・・」などと羨ましがる。

 

しかし、どの子も何かしらの特技の原石は持っていると思っている。

うまく見つけ、伸ばしてやるかどうかは周りの大人次第。

 

こばとが幼児教室をやっていた時、療育課題としてボール投げをさせると、

必ず的にピシッと当てる女児がいた。

「球筋がいいねェ!!」といつもスタッフは感心していた。

 

女児の両親は共働きだったので、いつもお父さんが療育の送迎をいた。

ゴルフ好きのお父さんはゴルフの練習場によく女児を連れて行ってたそうだ。

女児はきっとゴルフボールの行方を目でたどっていたのだろう。

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ゴルフ練習場

女児は就学前に遠方に転居したので、その後はどうなったか知る由もないが、

きっとボール関係で才能を伸ばしていることだろうと、想像している。

 

 

さて、ボウリング初参加で初優勝の一年生自閉症男児

 キッズレーンを使うことなく通常のレーンで球は蛇行することなくピンまで届いた。

 

彼のお母さんは日本人でお父さんはアメリカ人、ハーフだった。

お父さんも観戦に来ていた。

彼はお父さんに似ずハンサムで、一年生ながら体格は三年生並だった。

お兄ちゃんもハンサムだった。

 

こばとに来たのは3歳過ぎ。

多動ではなかったがことばは無く、手すりや窓枠の線を横目て見て歩く、視線が合いにくい、など自閉的症状はでていた。

 

 お母さんは彼が自閉症と知って絶望が、いろいろ調べて立ち直ると、

彼のために何でもやろう!という気持ちになっていた。

 

 はじめ自由保育の保育園に入れたが、そこで息子がずっと砂場でぱらぱら砂撒き

 ばかりしているのを見て、カリキュラムのある幼稚園に変えた。

こばとの療育にも熱心で、宿題はコピーしてやらせ、自転車、縄跳びは

家でも練習し、さらに習い事もいろいろやらせた。

 

彼は言葉も出るようになり、認知も発達し学習も進んだ。

小学校は普通級にすすんだ。

 

普通級に進んでもお母さんの悩みは尽きなかったようだ。

忘れもの、落とし物は日常茶飯。

級友が理解できていることも、彼一人が理解できなかったり。

 

プールの季節、水着に着替えるように言われた彼は、パンツの上に水着を穿いた、

と言って、お母さんは苦笑していた。

 

彼が一番集中したのはテニス。

お兄ちゃんと一緒に始めたテニスに夢中になっていった。

 

それがボウリングでもいかされたのだろう。

初参加、一年生で1ゲーム100点越えで優勝トロヒィー獲得。

観戦していたアメリカ人のお父さんも息子が自慢そうだった。

 

2年生になってしばらくすると、こばとと来る日とテニスの練習に行く日が

重なるようになった。

彼はテニスのほうに行きたがる、とお母さんが言って来た。

私は

「テニスでも社会性は伸びるから、好きなテニスをやらせてください。」と言った。

 

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テニスクラブ

一家は彼が3年の時、東京に移転した。

彼と兄にはプロのレッスンコーチをつけた。

お母さんが言うには、コーチは彼の方がアグレッシブでお兄ちゃんより有望だ、

と言ってくれたそうだ。

 

お母さんの夢は、彼がプロのテニスプレーヤーになること。

そのためにはどんな努力も惜しまないと、20周年記念文集に転居地から一文を送ってくれた。

 

お母さんの夢はかなった。

彼は高校卒業後、プロのテニスプレーヤーになった。

身長190センチ。さぞやパワーがあることだろう。

 

子どもの得意分野は多種多様、子どもそれぞれ。

ない物ねだりではなく、持てるものを見出し伸ばしてあげたいものだ。

 

 

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私の特技、それは内緒