自閉症の世界

~自閉症の世界を知って、障がい児の子育てに役立てよう~

年賀状 その2


去年の暮、埼玉に住むこばとの子(30代)から

年賀状だします予告のメールが来た。

 

年賀状は絵柄だけの、

彼の今の気持ちを表しているような、つい笑顔がでる年賀状。

 

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コメントの余白がない。

 

 

年末の年賀状出します予告メールには、

近況を報告する長い文章が書いてあった。

 

 自分は元気にしていて、作業所にもにも続けて通えている。

 2,3週間ごとに心療内科に通っている。

 父親が白内障の手術をし妹と暮らしているとのこと。

 アパートの一人暮らしにも慣れて順調だ。

 年金の給付や生活保護費も受けられるようになって、生活は大丈夫だ。

 父にも自分のお金で買って差し入れたりもしている、と

 自立ぶりを誇らしげに書いてあった。

 

 ここに至るまでの彼の人生には様々な事がありすぎた。

 

お母さんが書いた、こばとの7周年記念文集には

彼がこばとに通うようになったばかりの頃のことが書いてある。

 

 

発語もなく、同年齢の子どもに比べると色々な面で遅れていた。特に手先の機能が遅れていて、はさみは使えず鉛筆もしっかり持てない。

彼は自閉ではなく、大学の病院で精神発達遅滞と言う診断を受けた。

 

息子の障がいにショックと、あきらめの気持ちと努力の覚悟を書いている。

 

こばとに療育希望をだし、何カ月か待ってやっと4歳5か月の時に療育を

受けられるようになった。

自閉の症状はなかったので、療育をはじめると、

出来ることが増え、半年後には言葉も出るようになり、

入学前には日常会話は何とか成立するようになった。

それまでは遠方から通って来ていたが、小学校入学を機にこばとに徒歩でも通える

マンションに引っ越した。

 

学力的には難しいが、普通学級でスタートした。

会話は普通になっていったが、運動や手先の作業は相変わらず苦手だった。

こばとで縄跳びも出来るようになったが、あや跳びを教ええると、

兩手を体の前で交差させると、足は跳びながらどうしても開脚してまうのだ。

足は広げず、閉じたままで!と言っても難しかった。

 

中学校は支援級に入った。

彼は自分よりレベルの低い、会話のできない級友の面倒を見る立場と思っていた。

しかし、支援級の会話のできない自閉の級友達のほうが、

運動もよく出来、作業も速く上手と言うことにショックを受けたようだった。

 

障害有る無しにかかわらず、難しい思春期。

彼の精神は少しずつ崩れ始めた。夜、一人で歩き回るようになった。

そして、引きこもりになり、昼夜逆転の生活になった。

 

お母さんが何か言うと、マンションの9階から飛び降りるなどと言うようになった。

私は気になり、彼の家をたずねた。

彼の部屋をのぞき、声をかけると照れたような複雑な表情をした。

 

お母さんは気丈に振舞っていたが、脳腫瘍ができ、次第に悪化していった。

 

一家は父親の実家に転居していった。

 

お母さんが亡くなった後、彼は親戚の家に行ったりもしたが続かず、

父親の元に戻って、父や妹と顔を合わさない暮らしをするようになった。

 

 

何故そんなことまで私が知っているかと言うと、

彼が自分の気持ちを吐き出すように、長いメールを何度もよこしていたからだ。

統合失調症の診断と、投薬で次第に気持ちが安定してきたようだ。

NPO法人が運営する生活介護の作業所で就労することになった。

 

就労を前に、彼は千葉に行き、友達に会うつもりだ。そしてこばとに行き、

私に会いたいとメールしてきた。

 

会って長こと話をした。大人の顔つきにはなったが表情はよかった。

 

作業所での仕事のようすは写真つきのメールで知らせてきた。

次第に気持ちが安定してきたので、周りのたくさんの人に支えられて、

アパート暮らしを始めることになった。

借りるときはケースワーカーさんのお世話になった。

お父さんからは一人暮らしの食生活の指南を受けたようだ。

 

そのあと、アパート暮らしも順調と思えた去年の夏、職場でいやな事があって

仕事に行けなくなったが、また行けるようになったというメールが来た。

 

気持ちの区切りの時毎にメールをくれる。

すいぶん大人になった。

年賀状を出しますと、年末に知らせてくる彼、メールで近況を報告してくれた。

たぶん年賀状に書ききれないと思ったのだろう。

 

 

 

もう一人、ずっと気になっている子(20代)がいる。

父の勤務先の東南アジアから帰国して、すぐこばとにきた。

 

kobatokoba-kosodate.hatenablog.com

 

 几帳面、まじめ、

 

 クッキーをつくると、丁寧に伸ばし過ぎて薄い紙のようにしてしまう、

とお母さんが言っていた。

細かいし仕事も好きで、スウェーデン刺繍は見事な出来栄え。

ピアノの練習もしっかりやり、会話はままならないのに、歌は好き。

カラオケで平井健の歌を歌わせたらみごとなもの。

 

中学校は支援学級。その後支援高校を受験。

本人の努力と両親の愛情とサポートで乗り切って

卒業後は農業関係に就労が決まった。

 

就労先は新しく出来たばかりで、重度自閉症の対応に慣れていなかった。

 

ミスマッチは彼の働く意欲と体重をそぎ落としていった。

頑張ってもらいたいと思っていた両親も

あまりの変貌ぶりに不安になり、離職させた。

其の頃から少しずつ精神を病んでしまった。

 

投薬で一時抑えられたものの症状は一進一退。

家族は彼の情動の激しさや、体の震えなどに不安を感じつつも見守り続け、

暴れても病院に入れることはなかった。

 

お母さんに電話をかけたりすると、彼に気付かれ、顔色が変わるからと

こっそり聞こえない所で話たり、メールでやり取りしてきた。

 

私は彼に会いたいが、どう反応するか、動揺させてもまずいと控えている。

 

 

今年の年賀状には彼の笑顔が増えてきた。

出かけたいと意欲もみせることもあるとお母さんが書いてきた。

 

焦ってはいけないが、あぁ~、早く彼がのびのびと生きられる日が来てほしい。

その朗報を聞くまでは死ねないな。

 

 

 

きっと自分らしく生きていけるだろう、と書いた過去記事の子(20代)

 

kobatokoba-kosodate.hatenablog.com

 

今、 IT関係の仕事をしているが

名前を女性名に変えたと書いてきた。

元の名とは段違いのカワイイ名前。

顔もイケメンというよりアイドル顔だからピッタリ、呼ぶのに抵抗はないね。

落ち着いたら遊びに行きたいと書いてあった。

 

嬉しい、楽しみだ。

 

 自分の能力を生かした職場に定年まで勤めると言っている子(30代)

 

kobatokoba-kosodate.hatenablog.com

 

 
 彼もしばしばメールをくれる。

同じことを何回も質問してきたり、分かっているはずのことを聞いてくる時は話を逸らして返事する。

荒れた天気の時は、私の通勤の心配をしてくれる。心配してくれるのは彼だけだ。

 

年賀状には、

 

長生きしてね。

 

とコメントがあった。

そんな事書かれたら泣いちゃうよ。

 

年賀状はありがたいツールだなぁ~。

子ども達の様子を知るきっかけ、手段となってる。

 

また来年も年賀状を出せるように頑張らなくちゃ。

2023年迄の大殺界を乗り切れるような気がしてきた。

 

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